夏になると、黒猫は少しだけ静かになる。
いつもなら家の中を気ままに歩き回っているのに、暑い日は涼しい場所を探して、畳の上や廊下の隅で長くなっている。
窓の外では、セミが朝から鳴いていた。
庭の木々は強い日差しを受け、緑の葉を明るく揺らしている。
黒猫は古い木の窓辺に座り、夏の景色を静かに見つめていた。
何を見ているのだろう。
飛び交う小さな虫を追っているのか。
風に揺れる草を眺めているのか。
それとも、遠くから聞こえてくる子どもたちの声を聞いているのかもしれない。
部屋の隅には、読みかけの本が一冊置かれていた。
夏の午後に読むつもりで開いた本だったが、暑さのせいか、なかなかページが進まない。
冷たい麦茶をひと口飲み、窓辺の黒猫を見る。
黒猫はいつの間にか前足をそろえたまま、ゆっくりと目を閉じていた。
外ではあれほどセミが鳴いているのに、不思議と部屋の中は静かに感じられる。
ときどき白いカーテンが風に持ち上がり、黒猫の背中をやさしくなでていく。
そのたびに黒猫の耳が少しだけ動いた。
夏には、にぎやかな夏もある。
海へ行ったり、祭りへ出かけたり、花火を見上げたりする夏もある。
けれど、何もしないまま過ぎていく静かな夏も悪くない。
一冊の本と冷たい麦茶。
窓の外の青い空と、そばで眠っている一匹の黒猫。
特別な出来事は何もない。
それでも、あとになって思い出すのは、こうした何気ない午後なのかもしれない。
夕方になると、セミの声に混じって、どこか遠くから風鈴の音が聞こえてきた。
黒猫はゆっくりと目を開け、少し涼しくなった風の匂いを確かめるように鼻を動かした。
長かった夏の一日が、静かに暮れていく。
私は閉じていた本をもう一度開いた。
黒猫は窓辺に残り、夕焼けに染まり始めた空を見つめていた。
今年の夏も、きっといつか終わる。
けれど本のページを開けば、黒猫と過ごした静かな夏の午後は、いつでもそこに残っている。
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