部屋のすみで、黒猫が一枚の写真を見ていました。
それは、古い木の机の上に置かれた、小さな写真でした。
写真の中には、今より少し若い誰かと、まだ子猫だったころの黒猫が写っていました。
黒猫は、何も言わずにその写真を見つめています。
まるで、写真の中に残っている時間の匂いを、そっと思い出しているようでした。
部屋には、午後のやわらかい光が入っていました。
白いカーテンが少しだけ揺れて、机の上の写真に淡い影を落とします。
黒猫の丸い目には、写真の白いふちと、窓から入る光が小さく映っていました。
人間にとって写真は、昔を思い出すためのものかもしれません。
でも黒猫にとっては、少し違うものなのかもしれません。
そこに写っている顔。
そのときの部屋の空気。
呼ばれた名前。
なでられた手の温度。
そういう言葉にならないものを、黒猫は静かに思い出しているようでした。
写真の中の黒猫は、今よりずっと小さくて、少し不安そうな顔をしています。
けれど、今の黒猫は落ち着いた顔で、その小さな自分を見ていました。
「大丈夫だよ」
そんなふうに、写真の中の自分に話しかけているようにも見えました。
時間は戻りません。
けれど、写真を見ると、戻れないはずの時間が、ほんの少しだけ近くに来ることがあります。
それは、さみしいだけのものではなくて、あたたかいものでもあります。
黒猫は、しばらく写真を見たあと、そっと前足を伸ばしました。
写真に触れるか触れないかくらいの距離で、前足を止めます。
そして、まぶたをゆっくり閉じました。
たぶん黒猫は、写真の中にあるものを、ちゃんと覚えているのだと思います。
声にならない記憶も。
もう戻らない日の光も。
小さかったころの自分も。
全部、心のどこかにしまっているのだと思います。
写真は、ただの紙かもしれません。
でも、ときどきそこには、過ぎていった時間が静かに座っています。
黒猫は今日も、その写真を見ています。
何かを探すように。
何かを確かめるように。
そして、もう一度だけ、あの日のぬくもりに会いに行くように。
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