第一章 朝の庭
十一月の朝は、音が少ない。
雨戸を開けると、冷たい空気が縁側からすっと入ってきた。吐く息はまだ白くならないけれど、頬に触れる風は、もう秋のものではなかった。
庭の隅の山茶花が、昨日より少しだけ花を増やしている。
濃い緑の葉の間に、桃色の花がぽつり、ぽつりと開いていた。派手に咲くのではなく、冬のはじまりをそっと知らせるような咲き方だった。
「ああ、今年も咲いたんやなあ」
思わず声に出して、湯のみを両手で包んだ。湯気がゆっくり立ちのぼって、朝の光の中に溶けていく。
第二章 縁側の三毛猫
足元で、小さな鈴が鳴った。
三毛のミケが、いつの間にか縁側に座っていた。白と茶と黒のまだら模様の背中が、朝日を受けてほんのり温かそうに見える。
ミケは私の顔を一度だけ見て、すぐに庭へ視線を戻した。
しっぽの先だけが、ゆらり、ゆらりと動いている。何かを見つけたときの、あの静かな動きだ。
視線の先を追うと、山茶花の根元に、一枚の花びらが落ちていた。
第三章 花びらを見つめる時間
風が吹いたわけでもないのに、花びらは小さく揺れた。
ミケは前足をそろえて、じっと動かない。耳だけが、ぴくりと向きを変える。
追いかけるでもなく、触れるでもなく、ただ見つめている。
その横顔を見ていたら、ふと気づいた。
私は最近、こんなふうに何かをただ見つめることが、あっただろうか。
スマホの画面を見て、時計を見て、予定を見て。目はいつも忙しくて、心はその後ろをついていくだけだった。
ミケの時間は、まるで違う流れ方をしている。花びら一枚に、朝の全部を使っているようだった。
第四章 冬のはじまりの音
しばらくして、風がひと筋、庭を通り抜けた。
山茶花の枝が小さく揺れて、花びらがまた一枚、ひらりと落ちた。
地面に着くとき、音はしなかった。それでも、その静けさがはっきりと耳に残った。
ミケが立ち上がり、ゆっくり庭へ降りていく。肉球が冷たい土を踏むたびに、小さな足跡が並んでいく。
花びらのそばまで来ると、鼻先をそっと近づけて、においを確かめた。それから、満足したように顔を上げて、私のほうを振り返った。
「どうや、ええ匂いか?」
返事の代わりに、ミケは短く「にゃ」と鳴いた。
第五章 ひだまりの午前
日が高くなると、縁側にやわらかな日だまりができた。
ミケは庭から戻ってきて、その真ん中にくるりと丸くなった。私も隣に腰を下ろして、膝掛けを広げる。
山茶花の花は、光を受けて、朝よりも少し明るい色に見えた。
お茶はもう冷めかけていたけれど、不思議とそれがちょうどよかった。急がなくていい朝は、冷めたお茶まで、おいしく感じさせてくれる。
ミケの寝息が、ゆっくりと聞こえてくる。
庭には、また花びらが一枚、落ちた。
終章 冬のはじまりに
冬は、寒さだけの季節ではないと思う。
山茶花が咲いて、猫が日だまりで丸くなって、湯のみのお茶がぬくもりを伝えてくれる。そんな小さなことが、ひとつずつ心を温めてくれる季節でもある。
何も特別なことは起きなかった。
けれど、花びらを見つめる三毛猫の横顔を眺めていた時間は、この冬のはじまりの、いちばん静かで、いちばん豊かな時間だった。
あなたの今日にも、ほんの少しだけ立ち止まって、何かをただ見つめる時間が訪れますように。
ここまで読んで頂き、ありがとうございます
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