窓辺に一冊の本が置かれていました。
表紙は少し色あせていて、角はやわらかく丸くなっています。
何度も誰かに読まれてきた本なのだと、触れなくてもわかるような一冊でした。
その本の横に、黒猫が座っていました。
黒猫は本を読むわけでもなく、ただ静かにそこにいました。
けれど、まるで物語の続きを知っているような顔をしていました。
机の上には、小さな皿がひとつ。
その上に、赤いさんらんぼが数粒のっていました。
つやつやとした赤い実は、午後の光を受けて小さく輝いています。
黒猫はその赤をじっと見つめていました。
食べたいのか。
不思議に思っているのか。
それとも、ただ赤い色が気になっただけなのか。
黒猫は何も言いません。
ただ、しっぽの先だけを少し動かしました。
本の中では、どこか遠い町の物語が進んでいました。
誰かが旅をして、誰かが別れを告げて、誰かが大切なものを見つける話でした。
けれど、その日の部屋では、本の中の物語よりも、黒猫とさんらんぼの沈黙のほうが、少しだけ不思議に見えました。
赤い実。
黒い毛並み。
古い本。
午後の光。
それだけなのに、まるで一枚の挿絵のようでした。
黒猫はやがて、本の上に前足をそっと置きました。
ページが少しだけめくれて、物語の途中に風が入りました。
さんらんぼは、まだ皿の上で静かに光っています。
黒猫はそれを見て、ゆっくりまばたきをしました。
まるで、その赤い実の中にも小さな物語が入っていると知っているかのように。
本を読む時間には、音が少ないほうがいい日があります。
ページをめくる音。
猫が動く気配。
窓の外から入る風。
そんな小さなものだけで、部屋は十分に満たされます。
黒猫とさんらんぼ。
それは大きな事件ではありません。
けれど、忘れたころに思い出すような、静かな午後の一場面でした。
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