中学生の頃、私は太宰治の本を読んでもあまり何も感じなかった。
文章は美しく、物語もわかりやすいのに、心に響くものがなかった。
でも大人になって、太宰治という人の人生や背景を少し知ると、見え方が全く変わった。
ある作品を手に取った瞬間、私は思った。
「あー、そういうことか」
その物語は、ただの友情や勇気の話ではなかった。
登場人物の心の揺れや、極端な思考、強く何かを求める切迫感――
どこか作者自身の激しい内面が透けて見えるようだった。
読む前は、表面的な物語としてしか捉えられなかったけれど、今なら理解できる。
それは感動とか共感ではなく、作者の生き方や心の揺れを知る静かな納得のような感覚だった。
中学生の私には、まだその微妙な空気は見えなかった。
でも大人になった今、文章の奥にある人間の不安定さや切実さに気づき、物語が全く違う色を帯びて見える。
太宰治を読むことは、単に物語を追うことではなく、
誰かの生き方や内面の揺れをそっと覗く体験でもあるのだと、今は思う。
読むたびに、登場人物の選択や行動の背景にある心理が少しずつ理解できる。
以前は気にならなかった描写が、今は胸に刺さることもある。
そしてふと気づく。
文章のリズムや言葉の選び方に、作者自身の葛藤や苦しみが反映されていること。
それを感じ取れる今の自分と、当時の自分との違いに少し驚く。
太宰治の本を読むことは、単なる読書ではなく、
時間を超えて人の心に触れる体験なのだと思う。
そしてその体験は、年齢や経験を重ねるほどに深まっていくのだ。
今日もページをめくりながら、私は少しずつ、
「人間の複雑さ」と「生きることの切実さ」を学んでいるのだろう。
それは、ただの物語の感想ではなく、心の記録のように感じられるのだった。
0 件のコメント:
コメントを投稿