2026年9月4日金曜日
黒猫と傘
雨が降り出した夕方、商店街のアーケードの端に、一匹の黒猫がじっと座っていた。
名前は知らない。誰かに飼われているのか、それとも野良なのか、その黒い毛並みだけでは判断がつかない。ただ、雨が降るたびにこの場所に現れることだけは確かだった。
私が傘を差してその前を通りかかると、黒猫はふと顔を上げてこちらを見た。目が合う。逃げる様子はない。むしろ、何かを待っているような、そんな静かな眼差しだった。
「濡れるよ」
思わず声をかけてしまった。当然、返事はない。それでも黒猫は動かず、雨粒がアーケードの隙間から落ちてくる場所ぎりぎりに座り続けている。
少し迷ってから、私は傘を斜めに傾けて、黒猫の上に少しだけ屋根を作ってやった。風で雨が吹き込んでくる角度を防ぐように。黒猫は驚いた様子もなく、ただ小さく尻尾を揺らした。まるで「悪くない」とでも言うように。
しばらくそうしていると、傘の先から滴る雨音と、遠くを走る車の音だけが聞こえてきた。黒猫はゆっくりと目を細め、丸くなった。信頼しているのか、単に眠いだけなのか、それはわからない。
雨は一向にやむ気配がなかった。けれど、傘の下の小さな空間だけは、不思議と静かで、時間がゆっくり流れているように感じた。見知らぬ黒猫と、名前も知らない私と、一本の傘。それだけの組み合わせなのに、なぜかその瞬間がとても大切なもののように思えた。
「また会えたら、傘、貸してあげるからね」
そう呟いて、私はゆっくりとその場を離れた。振り返ると、黒猫はまだ同じ場所に座って、雨の中をじっと見つめていた。次に雨が降る日、またあの場所で会えるだろうか。そんなことを考えながら、私は濡れたアーケードを後にした。
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