2026年8月1日土曜日

ラジオを聴いているような黒猫

ラジオを聴いているような黒猫

窓辺に座る黒猫を見ていると、ふと不思議な気持ちになることがある。耳だけがぴくりぴくりと小さく動き、目は半分閉じたまま、どこか遠くの音に静かに耳を澄ませているような佇まい。まるで誰かのおしゃべりに相槌を打っているような、あるいは古いラジオから流れる音楽にじっと聴き入っているような、そんな不思議な時間がそこにはある。

音のない部屋で、音を聴いている

黒猫は光の加減で表情が変わりにくいぶん、その仕草の一つひとつがよく目に留まる。耳の向きだけがくるりと変わる瞬間、しっぽの先がゆっくり揺れる瞬間。人間には聞こえない周波数を、この子は本当に「聴いて」いるのかもしれない。そう思うと、静かな部屋の空気そのものが、何かの放送を流し続けているような気さえしてくる。

チューニングの合っていないラジオがサーッと鳴るような、あの何とも言えない「間」に似た空気感。黒猫がじっと動かずにいる時間は、まさにその「間」を体現しているようだ。急かされることのない、ただそこに在るだけの時間。

黒猫という存在の静けさ

黒という色は、光をあまり反射しない。だからこそ黒猫は、輪郭がふわりと部屋の暗がりに溶け込み、目だけがぽつんと浮かび上がる。その姿は、どこか古いラジオのダイヤルランプにも似ている。小さな灯りひとつで、部屋全体の空気をやわらかくしてしまう力がある。

忙しない一日の終わりに、そんな黒猫の隣に座ってみる。何をするでもなく、ただ同じ空間で同じ空気を吸っているだけ。それだけで、心の周波数が少しずつ整っていくような感覚がある。

ラジオのように、そばにいる

ラジオは、何かを強制してこない。つけていても消していても、そこにあるだけでいい。黒猫という存在も、どこか似ている。構ってほしいときは頭をすり寄せてくるし、そうでないときはただ丸くなっている。こちらの気分に合わせて何かを求めてくるわけではなく、ただそこに「在る」。

そのすこし距離のある温かさが、心地よい。声高に慰めてくるわけでもなく、ただ低い音量で流れ続けている。そんな黒猫との時間は、忙しい日常にそっと差し込まれる小さな休符のようなものかもしれない。

今日も窓辺で、黒猫は何かの周波数に耳を澄ませている。何を聴いているのかは分からないけれど、その静かな横顔を見ているだけで、こちらの心もすこしチューニングされていく気がする。


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