鈴木さんは、海辺の町で静かな暮らしを送っていた。
毎日、浜辺を歩き、潮の香りに包まれながら波の音に耳を澄ます。
長年の仕事の疲れも、ここでは少しずつ解けていくようだった。
ある日、浅い潮だまりで、小さな光を見つけた。
指先ほどの体に、黄金の光をまとったタツノオトシゴ。
鈴木さんが手を差し出すと、まるで招くようにゆらりと泳いだ。
その瞬間、浜辺の景色がゆっくりと溶け、海の中へと引き込まれていく。
気づくと、鈴木さんは水の中にいた。
タツノオトシゴは、まるで案内人のように、静かに泳ぎながら道を作ってくれる。
青い光の海底、柔らかく揺れる海草、無数の小さな魚たちが周囲を漂う。
鈴木さんは息を止めずに、ただその景色を眺めるだけで、心がほっと温かくなった。
「小さな命でも、こんなに美しい世界を生きているんだな」
鈴木さんは小さくつぶやく。
タツノオトシゴはくるりと向きを変え、鈴木さんを先へと導く。
波に揺れる光の道を進むたび、鈴木さんの心は、日々の疲れから解放されていく。
やがて、深い海の中心で、タツノオトシゴは静かに立ち止まった。
その周囲には、海中の光が柔らかく降り注ぎ、まるで小さな祝福のように輝いていた。
「ありがとう」と鈴木さんがつぶやくと、タツノオトシゴは一瞬、光を強く放ち、そしてゆっくりと海の彼方へ消えていった。
浜辺に戻ると、夕陽が波に反射して輝いていた。
夢のような海の旅は終わったが、鈴木さんの胸には、静かで確かな温かさが残っていた。
小さな命が紡ぐ世界の美しさを思い出すだけで、心は穏やかになり、
日々の暮らしに小さな喜びが宿る。
鈴木さんは微笑みながら、また浜辺を歩く。
タツノオトシゴが教えてくれたのは、特別な何かではなく、
日常の中で見落としがちな、小さな奇跡と癒しの存在だった。
そして今日も、海と小さな生き物たちが、静かに心を満たしてくれるのだった。
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