2026年5月7日木曜日

黒猫と釣り人

黒猫と釣り人

朝の川べりに、ひとりの釣り人がいた。

まだ空気は少し冷たくて、川の水はゆっくりと光を揺らしていた。

釣り人は古びた椅子に腰かけ、長い竿を水面に向けている。

急いでいる様子はない。

魚が釣れても釣れなくても、そこにいる時間そのものを楽しんでいるようだった。

その少し後ろに、黒猫が一匹いた。

黒猫は草の上にちょこんと座り、じっと釣り人の背中を見ていた。

魚を狙っているのか。

それとも、ただその人の静けさが気になったのか。

黒猫にしかわからない。

釣り人は、ときどき竿先を見つめ、ときどき空を見上げた。

黒猫は、ときどきしっぽを揺らし、ときどき川の音に耳を動かした。

ふたりのあいだに会話はない。

けれど、不思議と同じ時間を分け合っているように見えた。

川は流れ、風は草をなで、遠くで鳥が鳴いた。

そのたびに、黒猫の耳がぴくりと動く。

釣り人はそれに気づいているのか、気づいていないのか、少しだけ口元をゆるめた。

やがて、浮きが小さく揺れた。

釣り人は静かに竿を持ち上げた。

黒猫も立ち上がった。

川面に小さな銀色が跳ねた。

釣り人は魚を見て、黒猫も魚を見た。

まるで、ふたりで同じ秘密を見つけたみたいだった。

でも釣り人は、魚をそっと川へ返した。

黒猫は少しだけ不満そうに見えた。

けれど、すぐにまた草の上へ座った。

たぶん黒猫も、少しだけわかっていたのだと思う。

ここにあるのは、魚を手に入れる時間ではなく、川と朝と静けさを眺める時間なのだと。

釣り人はまた竿を下ろした。

黒猫はそのそばで丸くなった。

川の音だけが、ふたりの間をゆっくり流れていく。

何か特別なことが起きたわけではない。

けれど、その朝は少しだけ物語のようだった。

黒猫と釣り人。

名前も知らないふたりが、同じ川辺で、同じ静けさの中にいた。

それだけで、なんだかやさしい一日が始まった気がした。


ここまで読んでくれて、ありがとうございます

PR
楽天市場

よろしければ、
のぞいてみてください


0 件のコメント:

コメントを投稿