2026年5月13日水曜日

黒猫と屋根

黒猫と屋根

夕方になると、
町の屋根は少しだけ静かになります。

昼間は人の声や車の音でいっぱいだった通りも、
日が傾くころには、
どこか遠くの物語みたいに見えてきます。

その屋根の上を、
一匹の黒猫が歩いていました。

瓦の上を、
とてもゆっくり、
音を立てないように。

黒猫は急いでいるようには見えません。

どこかへ行く途中なのか、
ただ夕焼けを見に来ただけなのか、
それは誰にもわかりません。

屋根の上から見る町は、
地面から見る町とは少し違います。

洗濯物が風に揺れていて、
小さな窓に明かりがともり、
どこかの家から晩ごはんの匂いがしてきます。

黒猫は、
そういう暮らしの気配を、
黙って見下ろしていました。

人はそれぞれの家へ帰り、
一日を終わらせていきます。

けれど黒猫には、
決まった帰り道があるのかどうかもわかりません。

それでも、
屋根の上にいる黒猫は、
少しも寂しそうには見えませんでした。

夕焼けの光を背中に受けて、
まるで町の一番高いところで、
今日という日を見守っているようでした。

屋根は、
家を守るためにあります。

雨の日も、
風の日も、
強い日差しの日も、
そこに住む人たちを静かに守っています。

黒猫はきっと、
そのことを知っているのかもしれません。

だから屋根の上を歩くとき、
少しだけ丁寧に、
少しだけやさしく足を置くのです。

やがて空の色が、
橙から紫へ変わっていきました。

黒猫は一度だけ立ち止まり、
町の向こうを見つめました。

そこには特別なものはありません。

ただ、
いつもの町があり、
いつもの家々があり、
いつもの夜が近づいているだけです。

でも、その何でもない景色が、
黒猫のいる屋根の上から見ると、
少しだけ大切なものに見えました。

黒猫はまた、
ゆっくりと歩き出します。

どこへ行くのかは、
やっぱり誰にもわかりません。

けれどその小さな背中は、
今日も町の上を静かに渡っていきます。

まるで、
誰かの一日が無事に終わるのを、
そっと確かめるように。


ここまで読んでくれて、ありがとうございます

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