2026年7月17日金曜日
黒猫とブルーベリー
庭のいちばん奥に、古いブルーベリーの木が立っていました。
背の低い木でしたが、夏になると枝いっぱいに青紫色の実をつけます。
朝露に濡れた実は、まだ目を覚ましたばかりの空を、小さく丸めて閉じ込めたように見えました。
その木の下へ、毎朝決まって一匹の黒猫がやってきます。
黒猫はブルーベリーを食べません。
甘い匂いを確かめるように鼻を近づけることはあっても、実をかじろうとはしませんでした。
ただ木の根元に座り、葉の間を通り抜ける光や、枝の先で揺れる実を静かに眺めていました。
黒猫の毛は、朝の光を受けても真っ黒には見えません。
背中には淡い青が浮かび、耳の先には紫色の影が落ちていました。
まるでブルーベリーの木が、自分の色を少しだけ黒猫へ分けているようでした。
ある朝、庭にいつもより強い風が吹きました。
枝が大きく揺れ、葉の裏側がいっせいに白く光りました。
熟したブルーベリーがひと粒、枝からこぼれ落ちました。
実は乾いた土の上で小さく跳ね、黒猫の前足のすぐそばで止まりました。
黒猫は驚いたように目を丸くしました。
それから慎重に前足を伸ばし、柔らかな肉球で実に触れました。
ブルーベリーは、ころりと転がりました。
黒猫がもう一度触れると、今度は草の間を抜け、古い石のそばまで転がっていきます。
黒猫は遊んでいるつもりなのか、それとも落とし物を元の場所へ戻したいのか、自分でも分かっていないようでした。
何度か追いかけたあと、ブルーベリーは庭の小さなくぼみに入り込み、見えなくなりました。
黒猫はその場所をしばらく見つめていました。
掘り返すことも、鳴いて誰かを呼ぶこともありません。
ただ、そこに小さな何かが眠ったことを覚えておくように、静かに座っていました。
季節が進み、ブルーベリーの実が少なくなるころ、黒猫は木の下へ来ても、以前のように長く遊ばなくなりました。
枝から葉が落ち始め、庭には夏の終わりを知らせる涼しい風が吹いていました。
青紫色だった実も、やがてひとつ残らず姿を消しました。
それでも黒猫は、毎朝同じ場所へやってきました。
何もない枝を見上げ、風の音を聞き、土の匂いを確かめます。
ブルーベリーがなくなったあとも、そこには夏の記憶だけが残っていました。
黒猫にとって、あの木は実をつける木ではなかったのかもしれません。
朝の光を待つ場所であり、風と遊ぶ場所であり、季節が静かに変わっていくことを教えてくれる場所だったのでしょう。
そして土の下には、あの日転がっていった小さな実が、誰にも気づかれないまま眠っています。
いつかそこから新しい芽が出たとき、黒猫はきっと、何も驚かずにそのそばへ座るはずです。
まるで最初から、すべてを知っていたかのように。
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