2026年7月1日水曜日
黒猫とバナナ
朝の台所に、一本のバナナが置かれていた。
まだ誰にも食べられていない、少しだけ青さの残る黄色いバナナだった。
窓から入る光はやわらかく、テーブルの上に小さな影を落としていた。
その影のそばに、黒猫が静かに座っていた。
黒猫は、バナナをじっと見つめている。
食べたいのか、遊びたいのか、それともただ不思議に思っているだけなのか。
黒猫の丸い目には、黄色いバナナが小さな月のように映っていた。
台所には、まだ人の気配が少し残っている。
飲みかけの水の入ったコップ。
畳まれた布巾。
昨日の夜に読んで、そのまま置かれた本。
何でもない朝のものたちが、静かに息をしているようだった。
黒猫は、前足をそっと伸ばした。
バナナに触れる。
ころり、と少しだけ動いた。
それだけで、黒猫はびくりと体を引いた。
まるでバナナのほうが、自分から動いたように見えたのかもしれない。
しばらくして、黒猫はもう一度近づいた。
鼻先を寄せて、においを確かめる。
甘いような、草のような、よくわからない匂い。
魚でもなく、ミルクでもなく、猫じゃらしでもない。
黒猫にとって、バナナはとても静かな謎だった。
台所の時計が、小さく音を立てる。
外では誰かの自転車が通りすぎ、遠くで鳥が鳴いた。
世界はいつも通り動いているのに、このテーブルの上だけは、黒猫とバナナの小さな物語になっていた。
やがて黒猫は、バナナの横に丸くなった。
怖いものではないとわかったのか。
それとも、見張ることにしたのか。
黄色いバナナのとなりで、黒猫の黒い毛が朝の光を受けて、少しだけやわらかく光っていた。
何か特別なことが起きたわけではない。
ただ、一本のバナナがあって、一匹の黒猫がそれを見つけただけ。
けれど本の中の一場面のように、そんな小さな出来事が、なぜか心に残る朝がある。
黒猫は目を細め、バナナのそばで眠りはじめた。
台所には、甘い黄色と、静かな黒が並んでいた。
それは、誰にも気づかれないまま始まって、誰にも騒がれないまま終わる、小さな物語だった。
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