夕方、駅前の広場を通りかかると、噴水のふちに一匹の黒猫が座っていた。
水しぶきが風に流されてかかりそうな距離なのに、猫はまるで気にする様子もなく、じっと水面を見つめていた。通り過ぎる人々は誰もその存在に気づかない。スーツ姿のサラリーマンも、学生服の集団も、ベビーカーを押す母親も、みんな噴水の音に紛れて歩いていくだけだった。
私だけが立ち止まって、その黒猫を眺めていた。
猫というのは不思議な生き物で、水を嫌うと言われているくせに、こうして噴水のそばに平然と佇んでいることがある。まるで水の音を聞きにきたかのように。あるいは、行き交う人々をただ観察するために、あの場所を選んでいるのかもしれない。
噴水の水は規則正しく上がっては落ちてを繰り返す。その単調なリズムは、都会の喧騒の中で妙に心を落ち着かせる。猫はそのリズムに合わせるように、時折ゆっくりと瞬きをしていた。
しばらく眺めていると、猫がふとこちらを向いた。金色の瞳が夕暮れの光を受けて、一瞬だけ輝いた気がした。逃げるでもなく、近づいてくるでもなく、ただそこにいる。その距離感が、なんとも心地よかった。
考えてみれば、都会の片隅にはこうした小さな出会いがいくつも転がっている。急ぎ足で通り過ぎてしまえば、それに気づくことすらできない。けれど少しだけ足を止めて視線を落とせば、噴水のふちに座る一匹の猫と目が合う瞬間がある。
そんな些細な出来事が、なぜか一日の疲れをふっと軽くしてくれることがある。
黒猫はやがて、音もなく噴水のふちから飛び降りると、夕闇に紛れるようにどこかへ姿を消してしまった。残されたのは、変わらず水を噴き上げ続ける噴水の音だけだった。
また会えるだろうか。そんなことを思いながら、私も駅への道を歩き出した。
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