2026年7月24日金曜日
黒猫と大きな木
商店街を抜けた先、住宅街の角に一本の大きな楠(くすのき)が立っている。樹齢はゆうに百年を超えるという。幹には子どもの背丈ほどのうろがあり、夏には濃い緑の葉が、冬には裸の枝が空を切り取っている。
その木の根元に、いつからか一匹の黒猫が住み着いていた。
いつもそこにいる猫
名前は誰もつけていない。首輪もない。それでも近所の人たちは、いつしかその猫を「くすのきの黒猫」と呼ぶようになっていた。
朝の犬の散歩で通りかかる人、学校へ向かう子どもたち、仕事帰りに自転車を漕ぐ会社員。みんなが同じ場所で、同じ猫を見かける。木の根が盛り上がってできた小さな窪みが、その猫の定位置らしい。
雨の日は姿を消す。うろの中に入っているのだろうと、誰かが言っていた。晴れた日には、木漏れ日の中でじっと目を細めて座っている。人が近づいても逃げない。かといって寄ってくるわけでもない。ただそこにいる、という距離感を保っている。
木と猫、時間の流れ方が違うもの同士
大きな木は、何十年という単位で季節を繰り返す。猫の一生は、人間よりずっと短い。時間の流れ方がまるで違う二つの存在が、同じ場所で寄り添っている光景は、どこか不思議な安心感を与えてくれる。
木は動かない。ただそこに立ち続け、根を張り、枝を伸ばす。猫は自由に動き回れるはずなのに、あの木のそばから離れようとしない。まるで、変わらないものの隣にいることで、自分の居場所を確かめているようにも見える。
考えてみれば、人にも似たようなところがある。生活の中で、決まって立ち寄る場所や、なんとなく足が向く場所があるものだ。それは必ずしも特別な理由があるわけではなく、ただ「そこにいると落ち着く」という感覚だけで選ばれていたりする。
変わらない風景があるということ
街の風景は少しずつ変わっていく。店が入れ替わり、家が建て替えられ、道の形すら変わることがある。そんな中で、大きな木とその根元にいる黒猫という組み合わせは、通りかかる人にとって「変わらない何か」の象徴のようになっているのかもしれない。
特に用事がなくても、その角を通るときだけは少し歩調がゆるむ。木を見上げ、猫がいるかどうかを確かめる。いれば「今日もいた」と小さく思う。いなければ、少しだけ気にかかる。そんなささやかなやり取りが、日常のどこかに紛れ込んでいる。
おわりに
派手な出来事ではない。誰かに話すほどのことでもない。けれど、大きな木の下に黒猫がいるというだけの光景が、通り過ぎる人の一日に、ほんの少しの余白を与えてくれることがある。
忙しい毎日の中で、そういう「特に意味はないけれど、なぜか心に残る風景」を見つけられることは、案外貴重なことなのかもしれない。
ここまで読んでくれて、ありがとうございます
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