2026年6月30日火曜日

黒猫とパイナップル

黒猫とパイナップル

夏の朝、台所の窓から白い光が入ってきた。

まだ外は静かで、遠くの道を走る車の音だけが、薄い布の向こうから聞こえてくるようだった。

机の上には、ひとつのパイナップルが置かれていた。

昨日、商店街の果物屋で買ってきたものだ。

緑の葉を大きく広げ、黄色と茶色の硬い皮をまとって、まるで小さな南の島みたいにそこにあった。

その前に、黒猫が座っていた。

黒猫は、パイナップルをじっと見ていた。

魚でもない。

鳥でもない。

いつもの丸いお皿に入ったごはんでもない。

それなのに、妙に気になるらしかった。

黒猫は鼻を近づけて、そっと匂いをかいだ。

甘くて、少し酸っぱくて、夏の太陽を閉じ込めたような香りがした。

黒猫は少しだけ目を細めた。

それが好きなのか、苦手なのか、こちらにはよくわからない。

けれど、その顔はなんだか真剣で、まるで見知らぬ本の表紙を初めて読む子どものようだった。

パイナップルの葉先に、朝の光が引っかかっている。

光は細く伸び、黒猫のひげを金色に照らした。

黒い毛並みの中に、ほんの少しだけ茶色や灰色が浮かび、猫はただ黒いだけではないのだと気づく。

よく見れば、どんなものにも色がある。

よく見れば、どんな朝にも物語がある。

黒猫は前足をひとつ持ち上げ、パイナップルの皮にそっと触れた。

硬い感触が気に入らなかったのか、すぐに前足を引っこめた。

それから、何事もなかったように横を向いた。

でも、しばらくするとまた見た。

気にしていないふりをしながら、やっぱり気になっている。

その様子がおかしくて、私は包丁を出す手を止めた。

今すぐ切ってしまうのが、少しもったいない気がした。

このパイナップルは、食べものになる前に、黒猫にとって小さな謎だった。

南の国からやってきた、葉っぱの王冠をかぶった不思議な客。

台所の机の上に突然あらわれた、甘い匂いのする宝物。

黒猫はその謎を、言葉もなく見つめていた。

やがて風が入り、白いカーテンが少しふくらんだ。

パイナップルの甘い香りが部屋に広がる。

黒猫はゆっくりと立ち上がり、机の端から窓辺へ移動した。

そして、いつもの場所に座って外を見た。

もうパイナップルのことなど忘れてしまったような顔をしている。

けれど、しっぽの先だけが、ゆっくりと揺れていた。

それはたぶん、忘れた合図ではなく、覚えている合図だった。

夏の朝。

黒猫とパイナップル。

それだけで、台所は少しだけ絵本の中の場所になった。

なんでもない一日が、ほんの少し甘い匂いをまとった。

そして私は思った。

暮らしの中にある物語は、いつも大げさに始まるわけではない。

机の上の果物と、それを見つめる一匹の黒猫。

それくらい小さな出来事からでも、心に残る朝は生まれるのだ。


ここまで読んでくれて、ありがとうございます

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