夏の朝、台所の窓から白い光が入ってきた。
まだ外は静かで、遠くの道を走る車の音だけが、薄い布の向こうから聞こえてくるようだった。
机の上には、ひとつのパイナップルが置かれていた。
昨日、商店街の果物屋で買ってきたものだ。
緑の葉を大きく広げ、黄色と茶色の硬い皮をまとって、まるで小さな南の島みたいにそこにあった。
その前に、黒猫が座っていた。
黒猫は、パイナップルをじっと見ていた。
魚でもない。
鳥でもない。
いつもの丸いお皿に入ったごはんでもない。
それなのに、妙に気になるらしかった。
黒猫は鼻を近づけて、そっと匂いをかいだ。
甘くて、少し酸っぱくて、夏の太陽を閉じ込めたような香りがした。
黒猫は少しだけ目を細めた。
それが好きなのか、苦手なのか、こちらにはよくわからない。
けれど、その顔はなんだか真剣で、まるで見知らぬ本の表紙を初めて読む子どものようだった。
パイナップルの葉先に、朝の光が引っかかっている。
光は細く伸び、黒猫のひげを金色に照らした。
黒い毛並みの中に、ほんの少しだけ茶色や灰色が浮かび、猫はただ黒いだけではないのだと気づく。
よく見れば、どんなものにも色がある。
よく見れば、どんな朝にも物語がある。
黒猫は前足をひとつ持ち上げ、パイナップルの皮にそっと触れた。
硬い感触が気に入らなかったのか、すぐに前足を引っこめた。
それから、何事もなかったように横を向いた。
でも、しばらくするとまた見た。
気にしていないふりをしながら、やっぱり気になっている。
その様子がおかしくて、私は包丁を出す手を止めた。
今すぐ切ってしまうのが、少しもったいない気がした。
このパイナップルは、食べものになる前に、黒猫にとって小さな謎だった。
南の国からやってきた、葉っぱの王冠をかぶった不思議な客。
台所の机の上に突然あらわれた、甘い匂いのする宝物。
黒猫はその謎を、言葉もなく見つめていた。
やがて風が入り、白いカーテンが少しふくらんだ。
パイナップルの甘い香りが部屋に広がる。
黒猫はゆっくりと立ち上がり、机の端から窓辺へ移動した。
そして、いつもの場所に座って外を見た。
もうパイナップルのことなど忘れてしまったような顔をしている。
けれど、しっぽの先だけが、ゆっくりと揺れていた。
それはたぶん、忘れた合図ではなく、覚えている合図だった。
夏の朝。
黒猫とパイナップル。
それだけで、台所は少しだけ絵本の中の場所になった。
なんでもない一日が、ほんの少し甘い匂いをまとった。
そして私は思った。
暮らしの中にある物語は、いつも大げさに始まるわけではない。
机の上の果物と、それを見つめる一匹の黒猫。
それくらい小さな出来事からでも、心に残る朝は生まれるのだ。
ここまで読んでくれて、ありがとうございます
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