2026年6月3日水曜日

黒猫と水筒

黒猫と水筒

机の上に、水筒が置いてあった。

朝、あわてて出かける前に、
誰かがそこへ置いたままにしたものだった。

銀色の水筒は、窓から入る光を受けて、
少しだけ冷たそうに光っていた。

黒猫は、そのそばに座っていた。

水筒を見つめているのか、
水筒に映った自分を見ているのか、
それは誰にもわからなかった。

黒猫は前足をそっと伸ばした。

ころん、と水筒が小さく音を立てた。

あわてるでもなく、
悪いことをした顔をするでもなく、
黒猫はただ、じっと見ていた。

まるで水筒の中に、
遠い場所の記憶でも入っているみたいに。

夏の日の外の暑さ。

誰かが歩いた道。

喉が渇いたときに飲んだ、
少しぬるくなった水。

そんなものを、黒猫は知らない。

けれど、水筒にはたしかに、
外の世界の気配が残っていた。

黒猫は鼻先を近づけた。

金属のにおい。

人の手のにおい。

少しだけ、外の風のにおい。

黒猫は目を細めた。

部屋の中は静かだった。

時計の音と、
カーテンが揺れる音だけが、
ゆっくり流れていた。

水筒は何も言わない。

黒猫も何も言わない。

ただ、そこにあるものと、
そこにいるものが、
同じ午後の光の中に並んでいた。

やがて黒猫は、水筒の横に丸くなった。

冷たい銀色のそばで、
黒い毛並みがやわらかくふくらむ。

誰かが帰ってきたら、
きっと水筒を持ち上げるだろう。

そして黒猫を見て、
少し笑うかもしれない。

そのときまで、黒猫は番をしている。

水筒の中に残った、
小さな一日の続きを、
そっと守るように。


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