2026年6月11日木曜日

黒猫とラジオ

黒猫とラジオ

夕方の部屋に、古いラジオの音が流れていた。

窓の外では、空の色が少しずつ薄くなっていく。
昼と夜のあいだにある、短い時間だった。

机の上には読みかけの本。
湯気の消えかけたお茶。
そして、少しだけ音の割れるラジオ。

黒猫は窓辺に座っていた。

外を見るでもなく、眠るでもなく、ただ耳だけを小さく動かしている。

ラジオから流れる声は、知らない誰かのものだった。
今日の天気の話。
どこか遠い町の出来事。
昔よく聞かれていた歌。

どれも大きな事件ではない。
けれど、その小さな音が部屋の中にあるだけで、なぜか寂しさが少し薄くなる。

黒猫は、ときどきラジオの方を振り返る。

まるで、その箱の中に誰かがいると思っているようだった。
けれど近づいて確かめることはしない。

ただ、ほどよい距離を保っている。

人も猫も、近づきすぎないから安心できるものがあるのかもしれない。

ラジオの音は、テレビのようにこちらを急かさない。
画面もなく、眩しい光もなく、ただ静かに話しかけてくる。

聞いていてもいい。
聞き流してもいい。
途中で眠ってしまってもいい。

そのゆるさが、夕方の部屋にはよく似合っていた。

黒猫は前足をそろえたまま、じっとしている。
しっぽの先だけが、ゆっくり右へ左へ揺れていた。

古い歌が流れ始める。
どこか懐かしいのに、いつ聞いたのかは思い出せない。

もしかすると、懐かしさというものは、記憶そのものではなく、心が少し休んだときにだけ現れる気配なのかもしれない。

部屋の明かりをつけるには、まだ少し早い。
外は暗くなりきっていない。
本の文字は、ぎりぎり読める。

黒猫は小さくあくびをした。
そして、ラジオのそばではなく、少し離れた座布団の上に丸くなった。

音はまだ続いている。

誰かの声。
遠い町の話。
名前も知らない歌。

それらが部屋のすみずみに薄く広がって、静かな夜の準備をしている。

黒猫とラジオ。

何か特別なことが起きるわけではない。
けれど、何も起きない時間の中にだけ、そっと残るものがある。

今日という一日が、静かに閉じていく音。

黒猫は目を細めた。
ラジオは小さく鳴り続けていた。


ここまで読んでくれて、ありがとうございます

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