2026年9月9日水曜日
黒猫のお金
商店街の端にある小さな古道具屋の軒先に、その黒猫はいつも座っていた。名前はまだない。誰も飼っているわけではなく、通りすがりの人が「クロ」とか「ミケ」とか、思いつきで呼ぶだけだった。
その日、黒猫は道の隅で光る小さな金属片を見つけた。踏まれて泥にまみれていたが、爪先でつついてみると、それは古い一円玉だった。黒猫にとって、それがお金だという知識はない。ただ、日差しを受けてちらりと光るその小ささが、なんとなく気になっただけだった。
くわえてみると、口の中で妙な味がした。すぐに吐き出し、前足でころころと転がして遊んだ。硬貨は側溝の近くまで転がっていき、コトンと音を立てて格子の隙間に消えた。黒猫はしばらくそこを覗き込んでいたが、やがて興味を失って欠伸をし、日向へと戻っていった。
古道具屋の主人は、店先に座る黒猫を見るたびに小さく笑った。「今日も商売繁盛かい」とからかうように声をかける。黒猫は返事の代わりに尻尾を一度だけ振る。それが二匹の間の、ちょっとした挨拶になっていた。
夕方になると、学校帰りの子どもたちが店の前を通りかかった。一人の女の子が、ポケットから五十円玉を取り出し、駄菓子屋で買った飴を舐めながら黒猫の隣にしゃがみこんだ。
「あなたも欲しい?」
女の子は冗談半分に硬貨を差し出したが、黒猫はちらりと見ただけで、興味なさそうに顔を背けた。金属の匂いよりも、女の子のポケットに残った飴の甘い匂いのほうがよほど気になるようだった。
女の子は笑って、代わりに小さく千切った飴のかけらを差し出した。黒猫はそれをためらいがちに舐め、やがてざらついた舌でぺろりと平らげた。硬貨には見向きもしなかったくせに、甘いものにはあっさり心を許すのだから、現金なものだと女の子は思った。
日が沈み、商店街の明かりが灯り始める頃、黒猫はいつもの場所からゆっくりと立ち上がり、路地の奥へと消えていった。誰にも懐かず、誰の物にもならず、けれどこの町の誰もが少しだけその存在を気にかけている。
お金には興味を示さないくせに、この黒猫は町のどこか温かい場所に、確かな価値を持って座り続けているのだった。
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