2026年9月12日土曜日
階段の途中でこちらを見ている黒猫
古い神社へと続く石段は、苔むして滑りやすく、訪れる人も少なかった。
夕方、私はその石段の下に立っていた。仕事帰り、なんとなく気になって足を向けた場所だった。理由はうまく説明できない。ただ、今日はここに来るべきだという、そんな感覚があった。
石段の途中に、黒い影があった。
猫だった。艶やかな黒い毛並みが、傾きかけた陽の光を受けてわずかに光っている。猫は階段を三段ほどのぼったところで立ち止まり、体をこちらに向けていた。
目が合った。
金色に近い瞳が、まっすぐに私を見下ろしている。逃げる素振りはない。かといって、近づいてくる気配もない。ただじっと、値踏みするように、あるいは何かを問いかけるように、私を見つめていた。
私は数歩、石段に近づいた。猫は動かない。もう数歩近づく。それでも動かない。まるで、私がついてくるのを確かめているようだった。
「ついてこい、ってこと?」
声に出してみたが、猫は答えるはずもなく、ただ尻尾の先をゆっくりと揺らしただけだった。それが返事なのかもしれないと、勝手にそう思うことにした。
一段、また一段と石段をのぼる。猫は私が近づく分だけ、また少し先へとのぼっていく。振り返っては、こちらを見る。その繰り返しだった。急かすでもなく、待つでもなく、ただ一定の距離を保ちながら、私を先へ先へと導いていくようだった。
夕暮れの空気は少しずつ冷たくなり、木々の間から差し込む光は橙色を濃くしていく。石段の脇に生えた草が風に揺れ、遠くで鳥の鳴き声がした。日常の音とは少し違う、静かで澄んだ時間が流れていた。
半分ほどのぼったところで、猫はふと立ち止まり、いつもより長くこちらを見つめた。
何かを確かめるような、あるいは見極めるような視線だった。私はその場で立ち止まり、猫を見つめ返した。しばらく、そのままの姿勢で時間が止まったようだった。
やがて猫は小さく一声鳴くと、くるりと背を向け、軽い足取りで石段を駆け上がっていった。あっという間に、その姿は階段の先の暗がりに溶けて見えなくなった。
私は残りの石段をのぼりきったが、そこに猫の姿はもうなかった。神社の境内は静まり返り、夕闇が少しずつ広がり始めていた。
結局、あの黒猫がどこへ消えたのかはわからない。ただ、あの日以来、何か大切なものに導かれたような、そんな不思議な感覚だけが残っている。
もしまたどこかの階段で、こちらを見る黒猫に出会うことがあれば。今度は、最後までついていってみようと思う。
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