2026年2月27日金曜日

やさしい怪獣

夕暮れの街に、やさしい怪獣が現れた。

誰もその足音を聞かなかった。
ビルとビルのあいだに沈むオレンジ色の空を、そっと揺らすだけの、静かな重さだったからだ。

怪獣は大きかった。
雲に届きそうな背中、電線をくすぐる長いしっぽ。
けれどその目は、雨上がりの水たまりみたいに、どこまでも澄んでいた。

人々は最初、逃げた。
ニュースは騒ぎ、SNSは燃え、画面の向こうで言葉が飛び交った。
「危険だ」「街が壊れる」「早く排除しろ」

怪獣は、ただ立っていた。

逃げ遅れた子どもがひとり、交差点の真ん中で泣いていた。
信号は赤のまま変わらない。
車は止まり、世界は固まる。

怪獣はゆっくりと膝をついた。
アスファルトが少しだけひび割れる。
けれど、その大きな手のひらは、そっと風を起こしただけだった。

子どもを包むように、ビル風を遮り、
怖くないよ、と言う代わりに、あたたかい影を落とした。

泣き声は、やがて止んだ。

怪獣は、人の言葉を持たなかった。
だから壊さないことで、気持ちを伝えた。
踏みつぶさないことで、意思を示した。

夜になると、怪獣は街の外れの川辺に座った。
川面に映る自分の姿を、少しだけ寂しそうに見つめる。

本当は、触れたかった。
本当は、話したかった。

でも、その体は大きすぎた。

翌朝、怪獣は姿を消していた。
どこにもいない。
ただ、倒れているはずだった古い橋が、なぜか補強されていて、
枯れていた公園の木に、少しだけ緑が戻っていた。

誰も気づかない。
あれは怪獣が、夜のあいだに、そっと直していったことを。

街はまた、いつもの速度で動き出す。
ニュースは別の話題を追い、
人々は忙しく、やさしさを忘れそうになる。

けれど、風がやわらかく吹く日、
ビルの窓が夕日にきらめく日、
ふと、あの大きな影を思い出す人がいる。

壊す力よりも、守る力のほうが、
ほんとうはずっと強いのだと。

やさしい怪獣は、
いまもどこかで、
誰にも踏まれないように、小さなものをかばっている。

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