夕暮れの公園で、セミがひとつ鳴いていた。
夏の終わりを告げるような、少しだけかすれた声だった。
昼間の勢いはなく、それでも確かに、ここにいると世界に伝えている。
地面の下で過ごした長い時間。
暗く、静かで、誰にも見つからない年月。
それでもセミは、外の光を信じていた。
やっと地上に出てきたとき、世界はまぶしすぎた。
風は強く、空は高く、命は思ったより短いと知る。
それでも、鳴く。
意味があるかどうかなんて、考えない。
ただ、胸いっぱいの震えを、声に変える。
公園のベンチでひとり座っていた青年は、その声を聞いていた。
仕事帰りの重たい鞄。
うまくいかなかった一日。
誰にも言えない小さな後悔。
セミは鳴き続ける。
まるで、「それでもいい」と言うみたいに。
完璧じゃなくていい。
長く生きられなくてもいい。
短い時間でも、全力で震えれば、それは確かな存在になる。
やがて、声はふっと途切れた。
公園に静けさが戻る。
青年は顔を上げる。
さっきまで騒がしかった世界が、なぜか少しだけ優しく感じる。
地面の近く、小さな体が横たわっていた。
風がそっと葉を揺らす。
セミは、自分のすべてを鳴ききったのだ。
誰かに褒められるためでもなく、
歴史に残るためでもなく、
ただ、生きていることを、最後までやりきるために。
青年は立ち上がる。
鞄の重さは変わらない。
けれど足取りは、ほんの少しだけ軽かった。
夏の終わりの空に、まだ消えきらない声の余韻が残っている。
それはきっと、
命が震えた証だった。
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