秋の午後、本を開くと、なぜかトンボを思い出す。
ページのあいだに挟んだ細い栞が、光を受けてきらりと光ると、
それが一瞬、透明な羽に見えるのだ。
子どものころ、図書館の帰り道で赤いトンボを追いかけたことがある。
手を伸ばせば届きそうで、けれど決して触れられない距離。
捕まえたいというより、ただ、同じ方向へ歩いてみたかった。
読書も少し似ている。
物語の背中を追いかける。
登場人物の気持ちをつかまえたくて、行間に目を凝らす。
けれど本当に大事なものは、指のあいだからすり抜ける。
だからこそ、もう一度ページをめくる。
トンボは、前にしか進めないと言われる。
後ろに飛べないから「勝ち虫」と呼ばれた、と祖父が話していた。
その話を聞きながら読んだ歴史小説の重みを、今でも覚えている。
物語の中の人々も、きっと後ろへは戻れなかったのだろう。
選び、進み、失いながら。
本を閉じるとき、少しだけ胸が軽くなる。
トンボがふっと風に乗るように、
心のどこかが浮き上がる。
それは答えを得たからではなく、
進むしかないと静かに覚悟するからかもしれない。
夕焼け空を横切るトンボの影。
あれは、誰かの読書の跡のようにも見える。
目には見えないけれど、確かにそこを通った証。
今日も本を開く。
すぐに何かが変わるわけではない。
けれど、ページのあいだに挟んだ栞は、
小さな羽の形をしている。
気づかないうちに、
わたしもまた、前へ飛んでいるのかもしれない。
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