2026年2月27日金曜日

トンボの栞(しおり)

秋の午後、本を開くと、なぜかトンボを思い出す。
ページのあいだに挟んだ細い栞が、光を受けてきらりと光ると、
それが一瞬、透明な羽に見えるのだ。

子どものころ、図書館の帰り道で赤いトンボを追いかけたことがある。
手を伸ばせば届きそうで、けれど決して触れられない距離。
捕まえたいというより、ただ、同じ方向へ歩いてみたかった。

読書も少し似ている。
物語の背中を追いかける。
登場人物の気持ちをつかまえたくて、行間に目を凝らす。
けれど本当に大事なものは、指のあいだからすり抜ける。
だからこそ、もう一度ページをめくる。

トンボは、前にしか進めないと言われる。
後ろに飛べないから「勝ち虫」と呼ばれた、と祖父が話していた。
その話を聞きながら読んだ歴史小説の重みを、今でも覚えている。
物語の中の人々も、きっと後ろへは戻れなかったのだろう。
選び、進み、失いながら。

本を閉じるとき、少しだけ胸が軽くなる。
トンボがふっと風に乗るように、
心のどこかが浮き上がる。
それは答えを得たからではなく、
進むしかないと静かに覚悟するからかもしれない。

夕焼け空を横切るトンボの影。
あれは、誰かの読書の跡のようにも見える。
目には見えないけれど、確かにそこを通った証。

今日も本を開く。
すぐに何かが変わるわけではない。
けれど、ページのあいだに挟んだ栞は、
小さな羽の形をしている。

気づかないうちに、
わたしもまた、前へ飛んでいるのかもしれない。

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