本を開くと、ときどき毛虫を思い出す。
なぜ毛虫なのか、自分でもよくわからない。
けれどページの端をゆっくりと指でなぞると、あの小さな体の動きに似ている気がするのだ。
子どものころ、公園のベンチで本を読んでいた。
風が吹き、桜の葉が揺れていた。
ふと視線を落とすと、足元に一匹の毛虫。
黒と緑が混じった、小さな命。
嫌悪よりも先に、「どこへ行くんだろう」という疑問が浮かんだ。
毛虫はまっすぐ進まない。
止まり、縮み、また伸びる。
まるで迷いながら、それでも前へ進む読者のようだった。
あの日読んでいたのは、少し難しい小説だった。
背伸びして選んだ一冊。
言葉はすぐには頭に入らず、意味は霧の中にあった。
それでもページをめくるのをやめなかったのは、あの毛虫の姿を見ていたからかもしれない。
本も毛虫も、すぐには飛ばない。
羽ばたくのは、ずっとあとだ。
読むという行為は、地面を這う時間なのだと思う。
理解できない段落。
眠くなる午後。
同じ行を何度も目でなぞる夜。
それでも、少しずつ体の内側に何かが積もっていく。
やがて季節が変わり、毛虫は蝶になる。
けれど、その瞬間を人はなかなか見られない。
気づいたときには、もう空を舞っている。
本も同じだ。
読んだ直後には何も変わらない。
けれど数年後、ふとした選択の場面で、あの一文が羽になる。
言葉が、背中を押す。
あの公園の毛虫は、無事に蝶になれただろうか。
それはわからない。
けれど、あの日の読書体験は、たしかに今の自分のどこかに羽を残している。
だから今日も本を開く。
すぐに飛べなくてもいい。
ゆっくりでいい。
縮んで、伸びて、また進めばいい。
ページの上を、静かに這うように。
やがて来る羽化の時を、信じながら。
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