2026年5月15日金曜日

黒猫と犬

黒猫と犬

黒猫は、犬にあこがれていました。

それは、ある春の日のことでした。

黒猫は、古い木の塀の上に座って、道の向こうを歩いていく犬を見ていました。

犬は、しっぽを大きく振りながら、飼い主のおじいさんの横を歩いていました。

ときどき立ち止まっては、草のにおいをかぎ、空を見上げ、また嬉しそうに歩き出します。

黒猫は思いました。

「犬って、なんだか楽しそうだな」

黒猫はいつも、ひとりで歩いていました。

屋根の上も、路地のすみも、夕方の公園も、黒猫にとっては全部、自分だけの道でした。

それは自由で、悪くはありません。

でも、ときどき、誰かの横を歩いてみたいと思う日もありました。

次の日、黒猫は犬のまねをしてみることにしました。

道の真ん中を歩き、しっぽを少し大きく動かし、草むらのにおいをかいでみました。

けれど、どうしても犬のようにはなりません。

犬の足音は、ぽんぽんと明るい音がします。

黒猫の足音は、すっと静かに消えていきます。

犬は人を見ると嬉しそうに近づきます。

黒猫は人を見ると、少しだけ距離を取ってしまいます。

「ぼくは、犬にはなれないのかな」

黒猫は、小さな神社の石段に座りました。

夕方の光が、石畳の上に長く伸びています。

そこへ、あの犬がやってきました。

犬は黒猫を見ると、近づきすぎない場所で止まりました。

そして、静かにしっぽを振りました。

黒猫も、少しだけしっぽを揺らしました。

ふたりは何も言わずに、しばらく並んで夕日を見ていました。

犬は犬のままで、黒猫は黒猫のままでした。

でも、その時間は、どちらかがどちらかになる必要のない、やさしい時間でした。

黒猫は思いました。

「犬になれなくても、犬と一緒にいることはできるんだ」

それから黒猫は、ときどき犬の散歩道に現れるようになりました。

一緒に歩くわけではありません。

少し離れて、同じ道を歩くだけです。

犬は前を歩き、黒猫は塀の上を歩きます。

おじいさんは、それに気づいているのかいないのか、いつもゆっくり歩いていました。

ある日、おじいさんが笑って言いました。

「おや、うちの犬に、黒猫の友だちができたのかね」

黒猫は、聞こえないふりをしました。

でも、その夜、月明かりの下で、少しだけうれしそうに目を細めました。

犬みたいになりたかった黒猫は、犬にはなれませんでした。

けれど、犬のそばにいる黒猫にはなれました。

それはきっと、黒猫にしかなれない、少し不思議で、あたたかい姿だったのです。


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