2026年9月13日日曜日
黒猫と子猫
古い書店の奥、埃をかぶった本棚の隙間に、その黒猫はいつも座っていた。
名前はまだ誰にも呼ばれたことがない。店主は「黒」とだけ呼び、常連客は「本の番人」と呼んでいた。黒猫は本の匂いが好きだった。紙の匂い、インクの匂い、そして誰かが何十年も前に挟んだ栞の匂い。それらが混ざり合った空気の中で、黒猫は日がな一日、じっと座って窓の外を眺めていた。
ある雨上がりの夕方、店の裏口から小さな鳴き声が聞こえた。
段ボール箱の陰に、濡れた毛玉のような子猫が震えていた。灰色の縞模様、まだ目を開けたばかりのような、頼りない足取り。黒猫はしばらくその子猫を見つめていたが、やがてゆっくりと近づき、鼻先で子猫の額に触れた。
子猫は驚いたように鳴いたが、逃げはしなかった。
その日から、子猫は書店に居着くようになった。店主は特に何も言わず、ただ古い毛布を隅に敷いてやっただけだった。黒猫は相変わらず本棚の隙間で過ごしていたが、子猫がよちよちと歩いてくると、少しだけ体をずらして場所を空けるようになった。
子猫は何もかもが不思議だった。本の背表紙も、階段の軋む音も、窓から差し込む夕陽の色も。何度も本棚から落ちそうになっては、黒猫に首根っこを咥えられて助けられた。黒猫は無愛想なようでいて、子猫が寝ている間はいつもすぐそばにいた。
季節が巡り、子猫は少しずつ大きくなっていった。もう足取りはよろけることなく、本棚から本棚へと軽やかに跳び移れるようになった。それでも夜になると、決まって黒猫の隣に丸くなって眠った。
ある晩、店主が閉店作業をしながらふと二匹を見た。窓辺で並んで座り、外に降り始めた雪を眺めている黒猫と子猫。その姿は、まるで一冊の本の中の挿絵のようだった。
「お前たち、ずっとここにいるつもりか」
店主がそう呟くと、黒猫はゆっくりと瞬きをした。答えるようにも、それだけのことのようにも見えた。
子猫が黒猫の肩にそっと頭を寄せる。窓の外では雪が音もなく積もっていき、書店の明かりだけが、静かにその二つの影を照らし続けていた。
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