2026年9月14日月曜日
アキノタムラソウとマンチカン
夕暮れが近づくと、庭の隅に咲くアキノタムラソウの花穂が、風に揺れて小さく音を立てるような気がする。実際には音などしないのだけれど、そのくらい静かで、そのくらい繊細な揺れ方をするのだ。淡い紫の唇形の花が、茎の先に段になって並び、初秋の光を受けて少しだけ濃く見える。
その花のそばに、いつからか一匹のマンチカンが座るようになった。短い足を折りたたんで、まるで最初からそこにいたかのように収まっている。名前はまだ誰も知らない。この庭に迷い込んできたのか、それとも近所の家の子なのか、はっきりしたことは分からなかった。ただ、夕方になるとアキノタムラソウの花の横に現れて、じっと庭を見つめている。
庭の主である老人は、その猫を追い払うこともせず、ただ縁側に腰掛けて眺めていた。
「今日も来たのか」
老人がそう呟くと、マンチカンは短い足でゆっくりと体勢を変え、花の揺れる方向へ顔を向けた。風がアキノタムラソウの茎を撫でるたびに、紫の花穂がわずかに傾き、猫の耳がぴくりと動く。まるで花と猫が、何か言葉にならない会話をしているようだった。
老人は若い頃、この庭で妻と何度も夕涼みをした。妻が好きだった花のひとつが、このアキノタムラソウだった。「秋になると、こんな控えめな紫が咲くのよ」と、彼女はいつも嬉しそうに言っていた。今はもう、その声を思い出すことしかできない。
だが不思議なことに、猫が花の傍らに座るようになってから、庭の時間の流れが少し柔らかくなったように感じられた。誰かがそこにいる、という気配だけで、寂しさの角が丸くなる。マンチカンは特別なことをするわけではない。ただ座って、花を見て、時々あくびをする。それだけなのに、老人の一日の終わりに、小さな灯りがともるようだった。
ある日、強い風が吹いて、アキノタムラソウの花穂が大きく揺れた。花びらがいくつか散り、猫の鼻先にひとひら落ちた。マンチカンは驚いたように顔を上げ、それから花びらの匂いを確かめるように、そっと鼻を寄せた。老人はその様子を見て、久しぶりに声を出して笑った。
「お前も、この花が気になるか」
猫は答えるはずもなく、ただ短い尻尾をゆっくりと振った。それでも老人には、十分な答えのように思えた。
秋が深まるにつれ、アキノタムラソウの花はやがて終わりを迎えるだろう。けれど、その季節が来るまでの間、マンチカンは変わらずそこに座り続けるに違いない。花と猫、老人と静かな庭。誰かに説明できるような大きな出来事は何も起きない。ただ、そこには確かに、穏やかな時間だけが積み重なっていく。
夕暮れの光が薄紫の花にかかり、短い足の猫がその隣でまどろむ。それだけで、この庭はまだ、十分に美しいのだった。
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