2026年9月14日月曜日

黒猫とアキノキリンソウ

黒猫とアキノキリンソウ

山の斜面に、黄色い花が群れて咲いている。名前をアキノキリンソウという。地味だけれど、秋の光を浴びるとどこか金色に輝いて見える花だ。

その斜面の下に、小さな祠があった。長い石段を上りきったところに、ぽつんと佇む古いお社。参る人もまばらで、苔むした狛犬が二体、静かに時を数えているだけだった。

そこに一匹の黒猫が住み着いていた。

誰が呼んだわけでもないが、近所の人々はその猫を「クロ」と呼んでいた。クロは祠の縁の下を寝床にして、日が高くなると決まってアキノキリンソウの咲く斜面に現れた。花の間に体を潜り込ませ、じっと動かずに耳だけを動かしている。何を待っているのか、誰も知らなかった。

ある年の九月、麓の町に暮らす老人が、久しぶりにその石段を上ってきた。膝が悪くなってからは足が遠のいていたが、亡くなった妻の月命日だけは欠かさなかった。

老人が息を切らして祠の前に立つと、黄色い花の海の中から、音もなく黒い影が現れた。クロだった。

「お前、まだここにおったんか」

老人がしゃがみこんで声をかけると、クロは警戒するでもなく、ゆっくりと歩み寄ってきた。そして老人の足元に体をこすりつけると、そのままアキノキリンソウの中に戻っていった。

老人はふと、亡き妻がこの花を好きだったことを思い出した。「地味だけど、健気でしょう」と、彼女はいつも斜面を見上げて言っていた。派手な花のように誰かに褒められるわけでもなく、それでも毎年律儀に、同じ場所で同じ色を咲かせる花。

老人は線香をあげ、手を合わせた。振り返ると、クロは花の中に座り込んだまま、こちらをじっと見つめていた。まるで、何もかも承知しているとでもいうように。

「また来るわ」

老人がそう言うと、クロはひとつ、大きなあくびをした。まるで「待っている」とでも答えるかのように。

風が斜面を撫でていく。アキノキリンソウが一斉に揺れて、黄色い波のようにさざめいた。その中心に、動かない黒い点がひとつ。

季節はめぐり、また来年もこの花は咲くだろう。そのときも、きっとこの猫は同じ場所で、誰かの帰りを待っているに違いない。


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