2026年10月22日木曜日

癒される秋の萩のこぼれる小道と花びらの下を歩く三毛猫

癒される秋の萩のこぼれる小道と花びらの下を歩く三毛猫

  峠のふもとに、古い石垣に沿ってゆるやかに曲がる小道がある。

 九月の終わりの朝、わたしはその道を、あてもなく歩いていた。

 空気はひんやりと澄んでいて、夏の名残りはもうどこにも見当たらない。かわりに、道の両側から細い枝がしなやかに伸びていた。萩だった。

 赤紫の小さな花が、枝いっぱいに連なっている。風が通るたび、花はひとつ、またひとつと、ほどけるように地面へこぼれていった。道は薄紅色の花びらで、そっと縁取られていた。

 足を止めると、音がなかった。

 遠くで鳥が一声だけ鳴いて、それきり。枝の揺れる、かすかな衣ずれのような音だけが、耳の奥に残る。

 そのとき、石垣の上で、なにかが動いた。

 三毛猫だった。

 白と茶と黒が、水彩絵の具をにじませたように混ざり合った、小柄な猫。石の上に座り、尾をくるりと足もとに巻いて、まっすぐこちらを見ている。琥珀色の目は、逃げるでも、近づくでもなく、ただ「いるね」と言っているようだった。

 わたしも、声をかけなかった。

 しばらくして、猫はふいと視線をそらし、石垣からひらりと降りた。着地の音は、ほとんどしなかった。

 そして、歩き出した。

 萩のトンネルの下を、ゆっくりと。

 一歩ごとに、肉球が花びらを踏む。踏まれた花びらは少し沈んで、猫が通りすぎたあと、風に押されてまた浮かんだ。尻尾の先が、低く垂れた枝に触れる。そのたび、花がぱらぱらと降って、背中の斑模様に、薄紅色の点がいくつも散った。

 猫は、気にするそぶりもない。

 急ぐ理由なんて、最初からないのだ。

 わたしは、少し離れて、その後ろを歩くことにした。

 追いかけるのではなく、同じ道を、同じ速さで。

 不思議なもので、猫の歩幅に合わせていると、自分の呼吸まで静かになっていく。胸の奥にずっと居座っていた「あれもこれも、やらなくちゃ」という声が、花びらの下に、ひとつずつ沈んでいくようだった。

 道が曲がる。

 曲がった先で、ふいに視界がひらけた。朝の光が斜めに差し込んで、萩の花が、内側から灯りをともしたように光っている。

 猫は、その光の中で立ち止まり、ちらりと振り返った。

 目が合った。

 猫は、小さく、まばたきをした。ゆっくりと、一度だけ。

 それが、あいさつだったのか、ただの癖だったのか、わたしにはわからない。けれど、胸のあたりが、ふわりとあたたかくなった。

 やがて猫は、道の脇の生け垣のすき間へ、するりと消えていった。

 あとには、萩の花と、静けさだけが残った。

 わたしは、しばらくそこに立っていた。

 足もとには、猫が歩いたあとの、見えない道がある気がした。

 秋は、いつも少しだけ寂しい顔をしている。でも、こんなふうに、こぼれる花びらの下を、のんびり歩く背中を見かけると、その寂しさまで、やさしいものに思えてくる。

 帰り道、わたしは歩幅をほんの少しだけ小さくした。

 肩に、薄紅色の花びらがひとつ、乗っていた。

 払わずに、そのまま歩いた。

 季節が静かに通りすぎていく音を、今朝は、ちゃんと聞けた気がしたから。

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