2026年10月7日水曜日

癒される茜色の夕焼けとヤクシソウが咲く土手とマンチカンという猫

癒される茜色の夕焼けとヤクシソウが咲く土手とマンチカンという猫

 仕事帰りの道を、その日はいつもより少し遠回りした。

駅から家までは、まっすぐ歩けば十五分ほど。けれど十月に入ってから、わたしは気づくと川沿いの土手へ足を向けるようになっていた。理由ははっきりしない。ただ、夕方の空がきれいな日は、屋根の下に急いで入ってしまうのがもったいない気がしたのだ。

土手の上に出ると、風が頬をなでた。昼間の熱をすっかり手放した、すこしひんやりした秋の風だった。

西の空は、茜色に染まっていた。

燃えるような赤ではなく、熟した柿のような、やわらかな橙を溶かした茜色。その色が川面にも流れこんで、水の上をゆっくりと揺れている。遠くの鉄橋のシルエットが、墨絵のように浮かんでいた。

足もとに目をやると、土手の斜面に小さな黄色い花が群れて咲いていた。

ヤクシソウだ。

細い茎をすっと伸ばして、先に小さな黄色い花をいくつもつけている。派手ではない。けれど夕焼けの光を受けると、花びら一枚一枚が金色に透けて、まるで草むらにちいさな灯りがともったように見えた。春の花ほど華やかではなくても、秋の終わりに向かう景色のなかで、この花はいちばん静かに、いちばん長く咲いている気がする。

しばらく立ちつくして、その景色を眺めていた。

そのときだった。

草の向こうで、ふわり、と何かが動いた。

目をこらすと、ヤクシソウの群れのすぐそばに、一匹の猫が座っていた。

クリーム色の毛並みに、ところどころ薄茶のまだら。丸い顔にまんまるの目。そして、ちょこんと草の上に置かれた、驚くほど短い前足。

マンチカンだった。

首輪はしていない。けれど毛並みはふんわりと整っていて、どこかの家の猫が散歩に出てきたのかもしれない。猫はわたしを見上げると、少しだけ首をかしげた。それから、何事もなかったように、また夕焼けのほうへ顔を向けた。

わたしは、そっと隣に腰を下ろした。

逃げるかな、と思ったのに、猫は動かなかった。耳がぴくりとこちらを向いただけで、あとはただ、同じ空を見ている。

短い足を揃えて座る後ろ姿が、なんとも言えず愛おしかった。背中の丸み、ぴんと立った耳、ゆるやかに揺れるしっぽの先。ヤクシソウの黄色と、猫のクリーム色と、空の茜色。三つの色が、夕方の光のなかでやさしく混ざりあっていた。

ふと、思った。

今日は、朝からずっと慌ただしかった。返さなければいけない連絡があって、直さなければいけない書類があって、頭のなかはいつも「次」のことでいっぱいだった。

けれどこの土手には、急ぐものが何もない。

風が草をゆらして、花がゆれて、猫がまばたきをする。ただそれだけのことなのに、胸の奥でかたく結ばれていた何かが、ゆっくりとほどけていくのがわかった。

猫が、ごろんと草の上に横になった。短い足をのばして、おなかを夕日にむける。気を許してくれたのだろうか。それとも、ただ眠くなっただけなのだろうか。

どちらでもいい、と思った。

茜色はだんだん深くなって、空の端に藍色がにじみはじめた。川面の光も、少しずつ静かになっていく。ヤクシソウの黄色い花は、夕闇のなかでもまだ、ぽつぽつと小さな光を残していた。

どれくらい経っただろう。

猫がむくりと起きあがり、のびをして、ゆっくりと土手を降りていった。短い足をちょこちょこと動かしながら、一度だけ振り返る。そして、草むらの向こうへ消えていった。

わたしはしばらく、その場所に座ったままでいた。

家に帰ったら、温かいお茶をいれよう。そんなことを思いながら、立ちあがって、スカートについた草を払う。

土手の上には、まだ茜色の名残が残っていた。

きれいな景色は、探しに行かなくても、ふとした帰り道にそっと待っていてくれる。そして、ほんの少し足を止めるだけで、その日の心をやさしくなでてくれる。

ヤクシソウの揺れる土手と、茜色の空と、短い足の小さな猫。

そんな夕方があったことを、わたしはきっと、今夜の眠りのなかでも思い出すのだと思う。

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