坂の途中に、苔むした石垣がずっと続く道がある。
十月も終わりに近づいた午後、私はその道をゆっくり歩いていた。急ぐ用事はなかった。ただ、秋の光が一番やわらかくなる時間に、どこか静かなところを歩きたかったのだ。
石垣の根もとには、ツワブキが咲いていた。艶のある丸い葉の上に、すっと伸びた茎。その先で、黄色い花がいくつも顔を上げている。ほかの花が少しずつ色を落としていく季節に、ここだけは小さな灯りをともしたように明るい。
足を止めると、風が通った。花がかすかに揺れて、石垣の隙間から草の匂いがふわりと立ちのぼる。遠くで誰かが洗濯物を取り込む音がして、それもすぐに静けさに溶けた。
そのときだった。
石垣の上に、大きな影があった。
最初は、丸めた毛布かと思った。けれど、毛布にしては呼吸がある。ゆっくりと上下する背中は、灰色と茶色が幾重にも混ざり合った長い毛におおわれていた。耳の先には、ちょんと飾りのような毛が立っている。首のまわりは、まるで小さなマフラーを巻いたようにふくらんでいた。
メインクーンだった。
こんな大きな猫が、石垣の上でひなたぼっこをしている。私は思わず息をひそめた。
猫は、私に気づいていた。ゆっくりと片目だけを開けて、琥珀色の瞳でこちらをながめる。驚くでもなく、警戒するでもない。「ああ、あなたも来たのね」とでも言うような、おだやかな目だった。
それから、ふぁぁ、とひとつあくびをした。
大きな口を開けて、ぐっと伸びをして、前足を石の上にぺたりと置く。その動作のひとつひとつが、驚くほどのんびりしていた。この猫にとって、時間というのは急ぐものではないのだろう。陽が傾くのも、花が咲くのも、風が吹くのも、すべてがちょうどいい速さで過ぎていくものなのだ。
私は、猫のそばにあるツワブキの前にしゃがみ込んだ。
花と猫が、同じ光のなかにいる。黄色い花びらの縁が金色に透けて、猫の毛先もまた、陽をうけて淡く光っていた。どちらも、自分が美しいなんて少しも思っていない顔をしている。
しばらくして、猫が石垣からひらりと降りてきた。
あの大きな体なのに、着地の音がほとんどしない。そのまま私の足もとまで来て、ツワブキの葉の陰に鼻先を近づけた。花の匂いを確かめているのか、それとも葉の下の涼しさを味わっているのか。ふさふさの尻尾が、ゆらりと私の足首をかすめていった。
その、わずかなぬくもり。
気づけば、肩の力が抜けていた。仕事のこと、明日のこと、返しそびれたままの連絡。そんなものが、石垣のむこうへ静かに遠のいていく。
猫は満足したのか、またゆっくりと歩き出した。石垣に沿って、坂の上へ。一歩ごとに、長い毛が風にそよぐ。私はその後ろ姿を、しばらく見送っていた。
やがて猫の姿は、道の角を曲がって見えなくなった。
けれど、ツワブキはまだそこで咲いている。夕方の光に照らされて、黄色がいっそう深くなっていた。
私は立ち上がり、来たときよりも少しだけゆっくりとした足取りで、坂道をくだっていった。
秋の石垣道には、ツワブキが咲く。そして、そこには必ず、ゆったりと時間を連れた誰かがいる。そう思うと、この季節の帰り道さえ、少しだけ愛おしくなるのだった。
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