2026年10月16日金曜日

癒される秋の夜長に聞こえる雨音と湯気のココアとマンチカンという猫

癒される秋の夜長に聞こえる雨音と湯気のココアとマンチカンという猫

 

一、雨の始まる夜

十月の終わりが近づくと、夜は急に深くなる。

その日も、夕方から空の色がゆっくり鈍くなっていた。窓の外で街灯がにじみ、帰り道の人たちの傘が、ひとつ、またひとつと開いていく。

家に着いて、濡れたコートを椅子の背にかける。部屋の明かりは、天井の白いライトではなく、棚の上の小さなランプだけにした。橙色の光が壁にやわらかく広がると、一日のあいだ肩にのっていたものが、少しずつ下りていくのがわかる。

窓の向こうで、雨が屋根を打ちはじめた。

最初は、ぽつ、ぽつ、と数えられるほどの音だった。やがてそれは、細かな粒がそろって降りてくる、静かな連なりに変わっていく。

二、湯気のむこう

小さな鍋に牛乳を注いで、弱い火にかける。

ココアの粉をスプーンですくって、少しの砂糖と一緒に練る。ここで急いではいけない。粉がなじむまで、ゆっくり、ゆっくり。牛乳を少しずつ足していくと、茶色の渦がまるくなって、甘い匂いが台所いっぱいに立ちのぼる。

マグカップに注ぐと、白い湯気が揺れながらのぼっていった。

両手でカップを包む。指先から、じんわりとぬくもりが染みてくる。秋の夜の冷たさを知っているからこそ、この熱さが、ありがたい。

三、足もとの小さな気配

ソファに腰を下ろしたとき、足もとで、かすかな音がした。

とん、と軽い着地の音。

見下ろすと、マンチカンの「ムギ」が、短い脚でちょこちょこと近づいてくるところだった。琥珀色の目が、ランプの光を受けて、ちいさく光っている。

ムギは、ソファの前でぴたりと止まった。それから、じっとこちらを見上げる。膝に乗ってもいいか、と尋ねるみたいに。

「いいよ」

そう言うと、ムギは短い脚をぐっと縮めて、ふわりと跳んだ。ひとつで乗れないこともあるのだけれど、今夜は上手くいった。膝の上で二度、三度と円を描いてから、ようやく身体を丸めて落ち着く。

重さは、ほとんどない。けれど、そこにある温かさは、はっきりとわかる。

四、雨音だけの時間

テレビは消してある。音楽もかけていない。

聞こえるのは、雨の音だけ。

屋根を叩く細かな音。雨どいを伝って落ちる、規則正しい水の音。遠くの道路を車が通りすぎるとき、濡れた路面が、さあっと鳴る。

雨音というのは不思議なもので、ずっと聞いていると、静かさを壊すどころか、静かさをいっそう深くしてくれる。外の世界がやわらかな幕に包まれて、この部屋だけが、そっと守られているような気持ちになる。

ココアをひと口、すする。

甘さが舌の上でほどけて、喉をあたたかく通っていく。ほう、と息をつくと、白い息のかわりに、ささやかな安堵がこぼれた。

五、ムギの寝息

膝の上で、ムギの背中がゆっくり上下している。

最初は、ごろごろ、と喉を鳴らしていた。それがだんだん小さくなって、気づけば、すう、すう、という穏やかな寝息に変わっていた。

前足を、そろえて顎の下に。短い後ろ脚は、身体の下にきゅっと折りたたんで。耳だけが、ときどき雨の音に反応して、ぴくりと動く。

眠っていても、世界の音をちゃんと聞いているのだな、と思う。

その小さな耳の動きを眺めていると、胸のなかにあった、言葉にならないざわざわが、ひとつずつ、静まっていった。

今日あったこと。うまくいかなかったこと。言いそびれたこと。

全部、雨が洗い流してくれるわけではない。それでも、この夜のあいだだけは、持ち上げなくていいことにしよう。そんなふうに思えた。

六、夜が深くなる

ココアは、いつのまにか、ぬるくなっていた。

それでも、最後のひと口まで、おいしかった。甘さのなかに、ほんの少しの苦みがあって、それがまた、秋の夜に似合う。

窓の外の雨は、まだ降りつづけている。

勢いが強くなるでもなく、弱まるでもなく、同じ調子で、同じやさしさで。

ムギの背中に、そっと手を置く。柔らかな毛のむこうに、小さな心臓の鼓動が、とくん、とくん、と伝わってくる。

雨の音と、猫の鼓動と、冷めかけたココアの甘い匂い。

これ以上ほしいものは、今夜はもう、思いつかなかった。

七、あとがき

秋の夜長は、忙しい毎日のなかに、ふいに現れる贈り物のようなものだと思います。

特別なことは、何もいりません。

ランプをひとつ灯して、ココアをゆっくり作って、雨の音に耳をすませる。そこに、足もとで丸くなる小さな猫がいれば、それだけで、夜はじゅうぶんにやさしくなります。

今夜、もし雨が降っていたら。

どうか、すこしだけ手を止めて、窓の外の音を聞いてみてください。

湯気のむこうで、静かな時間が、あなたを待っているかもしれません。

ここまで読んで頂き、ありがとうございます

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