秋の午後三時を少し過ぎたころ、わたしはいつもの散歩道を歩いていた。
駅から家までのあいだに、車が一台やっと通れるくらいの細い道がある。その片側にずっと続く古い垣根は、夏のあいだ緑の壁でしかなかった。ところが、気づけば秋が来ていた。
クサギの実が、色づいていたのだ。
濃い紅色の星形のがくの真ん中に、ぽつんと一粒、青い宝石のような実がのっている。それが枝の先にいくつも連なって、垣根のあちこちで小さな星座みたいに光っていた。わたしは思わず足を止めた。
クサギという名前は、葉をもむと独特のにおいがするところからきているらしい。けれど、においのことなんて忘れてしまうくらい、実の色は澄んでいた。紅と青。こんなにはっきりした色を、自然は何の迷いもなく身にまとっている。
そのとき、足もとで「ちりん」と小さな音がした。
見下ろすと、垣根の根もとに一匹の猫がいた。
ふわふわの毛並みに、まあるい顔。そして、どう見ても短い脚。マンチカンという猫だ。首の鈴が、風に揺れる枝の音にまぎれて、かすかに鳴っている。
猫は逃げもせず、わたしの顔をじっと見上げていた。琥珀色の目がゆっくりまばたきをする。猫のまばたきは「敵じゃないよ」の合図だと、どこかで聞いたことがある。わたしもゆっくり、ひとつまばたきを返してみた。
猫は満足したように、ちょこちょこと歩き出した。
短い脚を忙しく動かして、垣根沿いの道を進んでいく。ときどき振り返っては、わたしがついてくるのを確かめる。ついて来いと言われている気がして、わたしはその小さな背中のあとを歩いた。
道の両側から、クサギの枝が低く垂れている。猫が通るたび、枝がふわりと揺れて、赤いがくがさらさらと触れ合った。落ち葉を踏むかすかな音と、鈴の音と、遠くの電車の音。急ぐものが何ひとつない時間が、ゆっくり流れていく。
やがて猫は、日だまりのできた石の上でぴたりと止まった。
そこは垣根のちょうど切れ目で、斜めに差し込む光がクサギの実をいちばんきれいに照らす場所だった。猫は石の上にちょこんと座ると、前脚をそろえて、目を細めた。まるで「ここが特等席だよ」と教えてくれているみたいに。
わたしもその隣にしゃがんで、同じ方向を眺めた。
青い実が、光を受けて透きとおる。紅色のがくが、夕方に向かう空気のなかでやさしく燃える。猫の背中は、日向のぬくもりでほんのり温かそうだった。
思えば、こんなふうに何もしない時間を過ごすのは、ずいぶん久しぶりだった。
スマートフォンを取り出す気にもならない。何かを考えようとも思わない。ただ、秋の光と、実のきらめきと、隣に座る猫の小さな呼吸。それだけで、胸のなかにたまっていたものが、すこしずつほどけていく。
しばらくして、猫が「にゃ」と短く鳴いた。
立ち上がると、またちょこちょこと歩き出し、垣根の向こうの路地へ消えていった。最後に一度だけ振り返って、尻尾をふわりと揺らして。
わたしはその場に残って、もう一度クサギの実を見上げた。
猫はもういないけれど、垣根の紅と青は変わらずそこにある。そして不思議と、さっきまでよりも少しだけ、世界がやさしく見えた。
帰り道、わたしは歩幅をいつもより小さくしてみた。
短い脚の友だちに、歩く速さをすこし分けてもらった気がしたから。
秋の垣根道には、小さな星座と、小さな案内人がいる。立ち止まる余裕さえあれば、きっと誰の前にも現れてくれるのだと思う。
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