秋の午後、畦道を歩いていると、遠くから「さらさら」という音が近づいてきました。
音のする方を見ると、黄金色の稲穂が、一面に波を打っています。風が通るたびに、穂先がいっせいに頭を下げ、また静かに起き上がる。田んぼ全体が、ゆっくり呼吸をしているようでした。
この音を聞くために、私は今日、少し遠回りをしてここへ来たのです。
風が運んでくる、乾いた秋の匂い
立ち止まって深く息を吸うと、刈り入れ前の稲の、ほんのり甘く乾いた匂いがしました。
夏の湿った空気はもうどこにもありません。肌にあたる風は軽く、少しだけ冷たい。その風が稲穂をなでていくたびに、さらさら、さらさらと音が重なっていきます。
雨音のような激しさもなく、波音のような迫力もありません。ただ、いつまでも聞いていられる、静かな音です。
畦道の端に、小さな先客がいました
ふと足もとを見ると、畦道の端に、ちょこんと座っている影がありました。
マンチカンの猫です。
短い足をきちんとそろえて、背筋をすっと伸ばして、稲穂の海のほうをじっと見つめています。ふわふわの毛が風に揺れて、耳の先だけが、ぴくりぴくりと動いていました。
「お邪魔します」
思わず小声で声をかけると、猫は一度だけこちらを振り返り、「どうぞ」とでも言うように、また前を向きました。
私は少し間をあけて、同じ畦道に腰を下ろしました。
並んで聞く、風の音
短い足のおかげで、猫の目線は、ほとんど稲穂と同じ高さです。
私には「景色」として見えている黄金色の波が、この子には、目の前いっぱいに広がる穂の森に見えているのかもしれません。風が吹くたびに、猫の鼻先がひくひくと動き、ひげが小さく揺れます。
さらさら、さらさら。
その音の合間に、猫がのどをごろごろと鳴らし始めました。
風の音と、猫のごろごろ。ふたつの音が重なって、不思議なほど心が静かになっていきます。考えごとも、やり残した用事も、風にほどけてどこかへ流れていくようでした。
何もしない時間が、いちばんの贅沢
大きな出来事があった日ではありません。特別な場所へ出かけたわけでもありません。
けれど、稲穂の波を眺めながら、小さな猫と並んで風の音を聞いた、この数十分は、私にとって忘れがたい時間になりました。
夕方が近づくと、空が少しずつ茜色を帯びてきて、稲穂の黄金色はさらに深くなっていきます。猫はゆっくり立ち上がり、短い足でとことこと畦道を歩いていきました。
ふり返ることもなく、稲穂の向こうへ消えていく後ろ姿。そのしっぽだけが、最後まで風に揺れていました。
最後に
忙しい毎日の中で、耳をすます時間は、思っているよりずっと少ないものです。
もし秋の田んぼの近くを通ることがあれば、少しだけ足を止めてみてください。稲穂を揺らす風の音は、きっとあなたの肩の力をそっと抜いてくれるはずです。
そして運がよければ、畦道の端に、小さな先客がいるかもしれません。
ここまで読んで頂き、ありがとうございます
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