2026年10月26日月曜日

癒される朝の漁港に響くかもめの声と船を待つメインクーンという猫

癒される朝の漁港に響くかもめの声と船を待つメインクーンという猫

 夜と朝のあいだの、いちばん薄い時間だった。

東の空がようやく白みはじめ、港の水面は、まだ眠りの名残りのように静まりかえっている。防波堤の向こうでは、低い波が岸壁をやさしく撫でていた。ちゃぷ、ちゃぷ、と小さな音が繰り返されるたびに、潮の匂いが冷たい空気に溶けて流れてくる。

その岸壁の端、古い係船柱のそばに、一匹の猫が座っていた。

メインクーンだ。ふさふさとした銀茶の毛並みは朝の湿気をうっすらと含み、首まわりのたてがみが海風にそよいでいる。体は大きいのに、座る姿はどこか慎ましい。前足をきちんとそろえ、長い尻尾を足もとにくるりと巻きつけて、まっすぐ沖を見つめていた。

ミャア、ミャア。

空から、かもめの声が降ってきた。まだ薄暗い空を、白い影が何羽も旋回している。声は高く、少しかすれていて、広い空に吸い込まれては、また別の場所から響いてくる。目覚まし時計のようでもあり、港そのものが朝を呼んでいるようでもあった。

猫の耳が、ぴくりと動いた。けれど視線は沖から離れない。かもめの声には慣れているのだろう。彼が待っているのは、もっと遠くから来るものだった。

この港で、毎朝いちばんに戻ってくる船がある。

「さち丸」という小さな漁船だ。船主の老いた漁師は、猫の姿を見つけると、いつも舳先から片手を上げる。猫のほうは返事もしない。ただ、船が岸壁に近づいてくると、ゆっくり立ち上がって、一度だけ大きく伸びをする。それが二人のあいだの、言葉のいらない挨拶だった。

やがて、水平線のあたりに、ぽつりと小さな光がにじんだ。

朝日ではない。船の灯りだ。

光は少しずつ大きくなり、波の上をすべるように近づいてくる。エンジンの音が、遠くから低く、ぽっ、ぽっ、ぽっ、とリズムを刻みはじめた。かもめたちの声が、にわかに賑やかになる。彼らもまた、船を待っていたのだ。

猫の尻尾が、ふわりと持ち上がった。

東の空が、ゆっくりと金色に染まりはじめる。雲の縁がほどけるように明るくなり、港の水面にも、その色がこぼれていく。濡れた岸壁が光り、係船柱が光り、猫の長い毛先が、細かな金の粒をまとったように輝いた。

船が着く。ロープが投げられる。漁師が舳先から軽く手を上げる。

猫は立ち上がり、ゆっくりと伸びをして、短く鳴いた。

「ンナァ」

かもめの声に紛れてしまいそうな、ささやかな挨拶だった。それでも漁師は、日に焼けた顔をくしゃりとほころばせて、そっとうなずいた。

朝の漁港は、静かで、あたたかい。

波の音と、かもめの声と、船のエンジンの音。そして、待つことを知っている猫の背中。慌ただしく過ぎていく毎日のなかで、ふと立ち止まりたくなる景色が、確かにここにはあった。

誰かを待つ時間というのは、案外、悪くないものなのかもしれない。

銀茶の猫は、水揚げの箱が並びはじめた岸壁で、満足そうに目を細めた。

朝日はもう、港のすべてを照らしている。

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