2026年9月16日水曜日

青空が好きな黒猫

青空が好きな黒猫

その黒猫は、いつも屋根の上にいた。

商店街の外れにある、古い時計店の屋根。錆びついた看板の陰から、じっと空を見上げているのが日課だった。誰かがそれに気づいたのは、もうずいぶん前のことだ。

「また空を見てるね」

通りがかりの豆腐屋の主人が、毎朝そう声をかける。黒猫は返事をしない。ただ耳を少しだけ動かして、それが挨拶の代わりだった。

黒猫が青空を好きになったのには、理由があった気がする。誰も知らないけれど、きっと理由があった。雨の日に生まれた子猫だったからかもしれないし、初めて目を開けたときに見えたのが、たまたま晴れ間だったからかもしれない。猫自身も、もう覚えていないようだった。

風の強い日も、黒猫は屋根から動かなかった。しっぽの毛が乱れても、目を細めて空を追いかけていた。まるで、雲の向こうに何か約束したものがあるみたいに。

夕方になると、空はゆっくりと色を変えていく。青が薄れて、橙が滲んで、やがて藍色に沈んでいく。その瞬間だけ、黒猫は少しだけ切なそうな顔をする。またしても、明日まで待たなければならないから。

季節が変わっても、屋根の上の風景は変わらなかった。桜の花びらが屋根を滑り落ちる春も、蝉の声が響く夏も、金木犀の香りがただよう秋も、黒猫はそこにいて、同じように青を見上げていた。

ある日、時計店の店主がふと呟いた。

「お前は、そんなに空が好きなのか」

黒猫は答えなかった。ただ、いつものように目を細めて、青い空の奥のほうを見つめていた。まるでそこに、自分だけが知っている何かがあるかのように。

それから何年経っても、屋根の上には黒猫がいた。時計の針が止まっても、看板の字が色あせても、その視線だけは変わらなかった。

青空が好きな黒猫は、今日もどこかで、静かに空を見上げているのかもしれない。


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