2026年9月16日水曜日
イボクサとマンチカン
田んぼのあぜ道に、小さな薄紫色の花が群れて咲いていた。イボクサだった。稲刈りを終えたばかりの田んぼの隅、湿った土の上にひっそりと寄り添うように咲くその花は、誰に気づかれることもなく、静かに秋の光を浴びていた。
そのあぜ道を、一匹のマンチカンが歩いていた。短い脚で、けれど迷いのない足取りで、水路の縁を辿るように進んでいく。灰色と白のまだら模様の毛並みが、傾きはじめた午後の陽射しを受けて、やわらかく輝いていた。
マンチカンはイボクサの群れの前で立ち止まった。花びらの先にとまった小さな水滴が、風もないのに時折こぼれ落ちる。その音がかすかに聞こえるほど、あたりは静かだった。
猫は鼻を近づけ、そっと匂いを嗅いだ。花はくすぐったそうに揺れたが、逃げることはしなかった。まるで、この短い脚の訪問者を待っていたかのように。
「お前もここが好きなのか」
そう声をかけたのは、あぜ道の向こうからやってきた老人だった。長靴を履き、片手に鎌を持っている。稲刈りの後片付けに来たのだろう。マンチカンは老人を一瞥すると、また花に視線を戻した。
老人はしゃがみこみ、イボクサの群れを眺めた。「この花はな、田んぼが終わる合図なんだ。稲を刈り終えた後にしか、こうして咲かない」
猫には言葉の意味など分からなかったはずだが、まるで頷くように、ゆっくりと尻尾を揺らした。
夕暮れが近づくと、田んぼの水路に西日が反射し、あたり一面が淡い橙色に染まっていった。イボクサの薄紫は、その光の中でいっそう際立って見えた。マンチカンは水路の縁に座り込み、流れる水面をじっと見つめていた。魚がいるわけでもない。ただ、光と影が水の上で揺れ動くのを、飽きることなく眺めていた。
老人は鎌をしまい、腰を伸ばした。「また来年、ここで会おう」
そう呟いて、あぜ道を戻っていった。マンチカンはその後ろ姿を見送ることもなく、相変わらず水面を見つめ続けていた。
やがて日が沈み、あたりが藍色に包まれる頃、マンチカンはようやく腰を上げた。イボクサの花はもう闇に溶け込み、輪郭さえ見えなくなっていた。それでも猫は、花が咲いていた場所に一度だけ振り返り、それから静かに歩き去っていった。
翌朝、同じあぜ道に朝露が降りていた。イボクサの花びらには小さな水玉が並び、朝日を受けてきらきらと光っていた。そしてその傍らには、小さな肉球の跡が、土の上にひっそりと残されていた。
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