2026年9月17日木曜日
黒猫とキキョウと夕焼け
夕方の風が少し涼しくなり始めた頃、古い神社の境内に一匹の黒猫がやってきた。名前はまだ誰にもつけられていない。ただ、この神社の裏手に咲くキキョウの群生地に、いつも夕暮れ時になると姿を現す猫として、近所の人々には知られていた。
キキョウの花は、夏の終わりから秋の始まりにかけて、青紫色の五角形の花びらを静かに開く。風が吹くたびに、花はゆっくりと揺れ、その隙間から夕焼けの光がこぼれ落ちていた。黒猫はその光の粒を追いかけるでもなく、ただじっと座り込み、花畑の真ん中で毛づくろいを始めた。
空は少しずつ橙色から茜色へと変わっていく。太陽が鳥居の向こうに沈んでいく様子を、黒猫は目を細めながら見つめていた。誰かに教わったわけでもないのに、この猫はいつもこの時間、この場所を選んでやってくる。まるでキキョウの花と夕焼けの共演を、毎日欠かさず見届ける役目でも背負っているかのようだった。
近くの家に住むおばあさんが、水やりのついでにその姿を見つけては、そっと声をかける。
「今日も来たんだね」
黒猫は返事の代わりに、ゆっくりと尻尾を一度だけ揺らした。それが精一杯の挨拶だった。
やがて日が完全に沈み、境内には薄闇が広がり始める。キキョウの花びらは夜の色に溶け込むように、静かにその青さを深めていった。黒猫は最後にもう一度だけ空を見上げると、音もなく茂みの奥へと姿を消していった。
明日もまた、同じ時間に同じ場所で、キキョウと夕焼けと黒猫の小さな物語が繰り返されるのだろう。誰に見られるわけでもない、ささやかで美しい時間として。
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