2026年9月16日水曜日
黒猫の雨宿り
空が急に色を変えたのは、昼過ぎのことだった。
さっきまで青かった空に、いつの間にか灰色の雲が広がっていて、遠くでかすかに雷の音がする。商店街の軒先に、一匹の黒猫がちょこんと座っていた。
その猫は、雨が降り出す少し前からそこにいた。まるで、これから何が起こるかを知っていたかのように、じっと空を見上げていたのだ。
ぽつり、ぽつりと、アスファルトに黒い染みが増えていく。やがてそれは本降りになり、商店街のシャッターや看板を叩く音が、あたり一面に響き渡った。
黒猫は慌てる様子もなく、軒先の一番奥まで移動すると、体をぎゅっと丸めた。尻尾を自分の体に巻きつけて、雨粒がかからないぎりぎりの場所を見つけ出す。その仕草は、何度もこうしてきたことを物語っているようだった。
通りを歩いていた人たちが、傘をさしながら足早に通り過ぎていく。誰も黒猫には気づかない。けれど、黒猫の方は違った。行き交う人々の足音や、傘のしずくが跳ねる様子を、金色の目でひとつひとつ追いかけていた。
しばらくすると、一人の老婦人が近くの花屋の軒先に駆け込んできた。息を切らしながら、濡れた肩を手で払っている。ふと視線を落とすと、そこに丸まった黒猫がいた。
「あら、あなたも雨宿り?」
老婦人は小さく笑うと、持っていた買い物袋からハンカチを取り出し、自分の隣にそっと置いた。黒猫はしばらくそれを見つめていたが、やがてゆっくりと立ち上がり、ハンカチの上に体を移した。
二人——いや、一人と一匹は、それからしばらく無言のまま、雨が作り出す灰色の景色を眺めていた。雨脚は強くなったり弱くなったりを繰り返しながら、商店街の匂いを少しずつ変えていく。土と、濡れたアスファルトと、どこかの店から漂う出汁の香り。
「こんな日は、家でゆっくりするのが一番ね」
老婦人がそうつぶやいた時、黒猫は小さくあくびをした。まるで同意するかのように。
雨は一時間ほど降り続いた後、急に勢いを弱めた。雲の切れ間から、薄い光が差し込み始める。老婦人は空を見上げて、「あがりそうね」とつぶやくと、荷物を持ち直した。
「じゃあね、また会えたら」
そう言い残して、老婦人は歩き出した。黒猫はその後ろ姿をしばらく見送っていたが、やがて自分も軒先から一歩、二歩と踏み出した。地面はまだ濡れていたけれど、雨はもうほとんど止んでいた。
水たまりに映る空は、さっきまでの灰色が嘘のように、淡いオレンジ色に染まり始めていた。黒猫はその水たまりの縁を、まるで踊るように器用に避けながら、商店街の奥へと歩いていく。
雨上がりの空気は、どこか特別な匂いがする。それは、何かが終わり、何かが始まる合図のような匂いだった。
黒猫の姿は、やがて路地の角を曲がって見えなくなった。残されたのは、水たまりに映る夕暮れの空と、静かになった商店街だけだった。
でも、きっとまた雨が降れば、あの黒猫はどこかの軒先で、同じように雨宿りをしているのだろう。誰かが通りかかるのを、静かに待ちながら。
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