2026年9月18日金曜日
青空と海と黒猫
青い波の音が、古い漁村の路地にまで届く夏の朝だった。
港町の外れ、潮風に色褪せた本屋の軒先に、一匹の黒猫が座っていた。名前を持たないその猫は、いつからかこの店の主のように振る舞い、開店前の静かな時間をひとりで過ごすのが好きだった。
店の主人は、毎朝コーヒーを淹れながら古い文庫本のページをめくる。今日開いたのは、遠い海を旅する船乗りの物語だった。黒猫はその隣に寄り添い、読み聞かせるでもない声に耳を傾けているようだった。
「今日はよく晴れているね」
主人がそうつぶやくと、黒猫は答えるように尻尾を一振りした。窓の外には、真っ青な空と、その先に広がる海が一枚の絵のように続いている。空と海の境目はほとんど見分けがつかず、ただ一本の水平線だけが、二つの青を静かに分けていた。
昼を過ぎると、黒猫は店を出て、防波堤の上を歩き始めた。潮の匂いを纏った風が毛並みを揺らす。漁船が一艘、白い航跡を残しながら港へと戻ってくるのが見えた。黒猫はしばらくその様子を眺め、それから欠伸をひとつして、日差しの当たる場所に丸くなった。
夕方、閉店の支度をしていた主人が店先に出ると、黒猫はまだそこにいた。空はゆっくりと橙色に染まりはじめ、海面にもその色がにじんでいく。まるで一冊の本の最後のページをめくるように、一日が静かに終わろうとしていた。
「また明日も、ここで会えるといいな」
主人の言葉に、黒猫はゆっくりと瞬きを返した。青空と海と、一匹の黒猫。それだけで、この小さな港町の物語は十分に美しかった。
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