2026年9月17日木曜日
階段とイシガメ
古い神社の裏手に、苔むした石段があった。
段差は低く、幅も広い。長い年月の間に角が丸くなり、踏むたびにひんやりとした感触が足の裏に伝わってくるような、そんな階段だった。
その石段の一番下に、一匹のイシガメがいた。
甲羅には小さな傷がいくつもあり、縁のところどころが欠けている。長く生きてきた証のようなものだった。イシガメは首を伸ばし、じっと石段を見上げていた。
一段目。
前脚をゆっくりと持ち上げ、石の縁にかける。硬い爪が苔に食い込み、少しだけ滑った。それでも慌てず、もう一度力を込め直す。後ろ脚で地面を蹴り、甲羅ごと体を持ち上げていく。
時間にすれば、ほんの数分のことだったかもしれない。けれどイシガメにとっては、それは長い長い旅のようなものだった。
一段のぼりきると、イシガメは動きを止めた。
首を引っ込め、しばらく甲羅の中で息を整える。急ぐ必要はなかった。誰かと競っているわけでもない。ただ、この階段の先に何があるのか、それを知りたかっただけだ。
近くの木の上では、小さな鳥が枝から枝へと飛び移っていた。鳥にとって、この石段など一瞬で越えられる高さでしかないだろう。けれどイシガメは、鳥をうらやましいとは思わなかった。自分には自分の速さがある。そのことを、長い年月をかけて知っていた。
二段目にとりかかる。
今度は少し勾配がきつく、前脚が滑りそうになった。イシガメは体勢を低くし、甲羅を石の角にそっと押し当てる。まるで石段そのものに寄りかかるようにして、じわりじわりと体を押し上げていった。
ふと、階段の脇に古びた小さな祠があるのに気がついた。中には、色褪せた一冊の本のようなものが置かれていた。雨風にさらされ、表紙の文字はもう読み取れない。誰が、いつ、何のためにそこに置いたのかも分からない。
それでもイシガメは、その本の前を通り過ぎるとき、なんとなく歩みを緩めた。
きっと、あの本にも、誰かがこつこつと積み重ねた時間が詰まっているのだろう。一文字ずつ、一段ずつ。誰かが書き、誰かが読み、そうして今もそこに残っている。
自分がのぼっているこの石段も、同じようなものかもしれない。一段一段は小さくても、積み重ねればどこかへとたどり着く。
三段目。
甲羅が少し重く感じられたけれど、イシガメは休まなかった。日はまだ高く、時間はたっぷりとある。
段の上に体を乗せたとき、視界がわずかに開けた。木々の隙間から、境内の向こうに広がる空が見えた気がした。まだ頂上ではない。けれど、さっきよりも少しだけ、遠くまで見渡せるようになっていた。
イシガメは、そこでもう一度足を止めた。
急ぐ理由などどこにもない。のぼりたいと思ったから、のぼっている。それだけで、十分だった。
風が吹き、木の葉が石段の上をさらさらと滑っていく。イシガメはその音に耳を澄ませながら、次の一段に、また静かに前脚をかけた。
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