2026年9月17日木曜日

猫がたくさんいる島

猫がたくさんいる島

船が港に着いたとき、真一はまず、その静けさに驚いた。

エンジンの音が消えると、代わりに聞こえてきたのは、波の音と、どこからともなく響く「にゃあ」という鳴き声だった。一匹ではない。二匹でもない。港の石段のあちこちに、あくびをしている猫、丸くなって眠っている猫、こちらをじっと見つめてくる猫がいた。

「思っていたより、ずっと多いな」

真一は小さくつぶやいて、旅行バッグを担ぎ直した。仕事に疲れ、何も考えずに過ごせる場所を探していた彼が選んだのは、この、猫がたくさんいるという小さな島だった。

港から続く坂道を歩くと、猫たちは彼を警戒するどころか、まるで昔からの顔なじみのように、するすると足元に寄ってきた。茶トラの猫が一匹、真一の前を歩き、時々振り返っては、まるで「こっちだよ」と言うように、道の先を見つめる。

真一はその猫の後をついていった。特に理由はなかった。ただ、そうしたい気持ちになっただけだった。

坂を上りきると、小さな食堂が一軒、開いていた。軒先の縁台には、また別の猫が三匹、行儀よく並んで座っている。まるで、この島の見張り番のようだった。

「よく来たね」

食堂から出てきた老婆が、真一に声をかけた。皺の深い顔に、柔らかな笑みが浮かんでいる。

「猫が多い島だと聞いて来ました」

「多いなんてもんじゃないよ。この島は、人よりも猫の方が多いんだ」老婆は笑いながら言った。「昔、漁師たちが猫を大事にしてね。鼠を捕ってくれるからって、みんなで餌をやっていたんだ。それがいつの間にか、こんなに増えちまった」

真一は縁台に腰を下ろした。すると、先ほど道案内をしてくれた茶トラが、当然のように彼の膝に乗ってきた。温かい。柔らかい。そして、想像していたよりもずっと重い。

「この子は、ここではちょっとした有名人でね」老婆が言った。「新しく来た人を、必ず案内するんだよ。誰に教えられたわけでもないのに」

真一は膝の上の猫を見下ろした。猫は目を細め、ゆっくりと瞬きをした。それが、まるで「よく来たね」という言葉のように感じられた。

夕方になると、島のあちこちで猫たちが集まり始めた。港の防波堤、神社の階段、路地の隙間。どこにいても、視線の先には必ず猫がいた。真一はカメラを構えることも忘れて、ただその光景をぼんやりと眺めていた。

日が沈み、オレンジ色の光が波間に溶けていくころ、茶トラは真一の隣にちょこんと座り、同じ方向を見ていた。誰に急かされることもない、誰に説明を求められることもない時間。

真一は、ふと思った。この島の猫たちは、誰かに飼われているわけではないのに、誰よりも自由で、誰よりも堂々としている。それは、この場所そのものが、彼らのための場所だからなのだろう。

宿に戻る道すがら、真一は何度も後ろを振り返った。茶トラは、いつの間にか見えなくなっていた。けれど、坂道のあちこちに座る猫たちの視線が、まだ彼を見送っているような気がした。

翌朝、真一が港に戻ると、船が着くまでの間、あの茶トラがまた石段の上で待っていた。まるで、島に来たときと同じように。

「また来るといいよ」

老婆の言葉を背に、真一は船に乗った。甲板から見えた港には、変わらず猫たちが、それぞれの場所で、それぞれの時間を過ごしていた。

船が離れていくとき、茶トラは石段の一番上から、じっとこちらを見ていた。真一は小さく手を振った。応えるように、猫はゆっくりと尾を振った。

きっと、また来ることになるだろう。そう思わせる島だった。


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