2026年9月16日水曜日
黒猫とサンマ
夕暮れの商店街に、焼き魚の匂いが漂う季節がやってきた。
魚屋の店先に並んだサンマの背が、夕日を受けて銀色に光っている。その匂いに誘われて、いつからかそこに現れるようになった一匹の黒猫がいた。
黒猫は毎日、決まった時間にやってくる。店先の隅に座り、じっとサンマを見つめる。けれど、飛びかかったり鳴いてせがんだりすることはない。ただ静かに、行儀よく座っているだけだった。
魚屋の主人は最初、警戒していた。だが、何日経っても黒猫は一線を越えようとしない。ある夕方、主人は焼きあがったばかりのサンマの尾びれを小さく切って、皿に乗せて出してみた。
黒猫はゆっくりと近づき、匂いを確かめてから、静かに口をつけた。それきり、追い払わなくても毎日律儀に通ってくるようになった。
秋が深まるにつれ、サンマの匂いと共に黒猫がやってくる時間は、商店街の人々にとって小さな合図になった。「そろそろ黒猫の時間だね」と誰かが言えば、自然と皆が空を見上げ、夕焼けの色を確かめる。
ある日、いつもの時間になっても黒猫は現れなかった。主人は少し心配になり、皿を出したまま店先で待っていた。日が沈み、辺りが暗くなっても猫の姿はない。
翌朝、店を開けると、皿は空になっていた。誰かが夜のうちに立ち寄ったのか、それとも風で運ばれたのか。真相はわからない。だが主人は、その日も変わらず皿を用意した。
秋の夕暮れは、誰かがそっと通り過ぎるだけの、短くて優しい時間だ。黒猫がまた現れるかどうかは分からないが、皿の上には今日も、焼きたてのサンマの匂いだけが静かに漂っている。
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